横浜の堀(運河)と橋 09

2020年1月22日(水)
吉浜橋
派大岡川東詰めに位置し横浜製鉄所開設の頃に木橋架橋。
明治31年(1898年)3月鉄橋架設 計画者 野口嘉茂
橋長27間2分(約49.1m)、橋幅4間2分(約7.3m)

派大岡川
中村川河口から太田屋新田埋め立てで東西に流れを替え、大岡川河口で野毛浦へ続く。
昭和52年(1977年)埋め立て完了、首都高横羽線。

中村川・堀川→分流・派大岡川→吉浜橋→花園橋→港橋→豊国橋→羽衣橋→吉田橋→柳橋→大岡川→接続・桜川

小松川
太田屋新田の悪水抜きの堀として作られる。
明治4年(1871年)7月、太田屋新田埋立地に相生・住吉・尾上・港(湊)などの7つの町が生まれた際に、相生町から港(湊)町に至って、派大岡川に至る川を小松川と命名。
明治5年(1872年)高島嘉右衛門蒸気ポンプの力を借りて埋め立て、下水として再生。

小松川-明治5年埋め立て前
派大岡川→湊橋→尾上橋→住吉橋→翁橋→万年橋→豊国橋→千歳橋(千年橋)→駒形橋(駒栄橋)→相生橋→入江橋→大岡川
1867-小松川-貞秀-横浜細見-慶応3年(1867年)部分
1867-小松川-貞秀-横浜細見慶応3年(1867年)部分.jpg

吉田新田
明暦2年(1656年)~寛文7年(1667年)-江戸、吉田勘兵衛埋め立て
埋め立てに伴い中川’中村川)形成。
明暦3年(1657年)大雨により堤防決壊、のちにおさん伝説が生まれる。
寛文13年(1673年)山王大権現(日枝神社)造立

太田屋新田
嘉永3年(1850年)~安政3年(1856年)埋め立て
三河国碧海郡川崎村出身の太田屋左兵衛、叔父の源左衛門差配

横浜製鉄所・吉浜橋が地図に現れるのは御開港横濱之全圖 増補再刻 慶応2年(1866年)以降だ。
横浜製鉄所-慶応元年8月24日1865年10月13日竣工
だが吉浜橋は堀川の橋よりも情報が少ない。

1865-1871-横浜製鉄所・吉浜橋-堀川浚渫・拡幅-明治4年(1871年)
この写真もアイ君の資料だが撮影者の情報、年度は不明だ。
1865-1871-横浜製鉄所・吉浜橋-堀川浚渫・拡幅明治4年(1871年).jpg

1866-前田橋-西之橋-製鉄所-御開港横浜之全図-慶応2年(1866年)-部分-
1866-前田橋-西之橋-製鉄所-御開港横浜之全図-慶応2年(1866年).jpg

1866-武陽横浜一覧歌川広重(二代)
1866-武陽横浜一覧歌川広重(二代).jpg

1893-横濱吉濱橋岸-明治31年(1898年)3月鉄橋架設
1893-横濱吉濱橋岸-明治31年(1898年)3月鉄橋架設.jpg

カトリック山手教会
明治39年(1906年)に山下町80番地から山手44番地へ新築移転
フェリスの隣に見える尖塔はユニオン教会Yokohama Union Church、明治43年(1910年)山手48番・49番、大正12年(1923年)9月1日の関東大震災で壊滅。

1911-ユニオン尖塔-吉浜橋河岸ヨリ山手居留地ヲ望ム-明治44年以後
1911-ユニオン尖塔-吉浜橋河岸ヨリ山手居留地ヲ望ム-明治44年以後.jpg

1911-カトリック山手教会-吉浜橋河岸ヨリ山手居留地ヲ望ム-明治44年以前
1911-カトリック山手教会-吉浜橋河岸ヨリ山手居留地ヲ望ム-明治44年以後.jpg

1911-吉浜橋河岸ヨリ山手居留地ヲ望ム-部分-明治44年以前
1911-吉浜橋河岸ヨリ山手居留地ヲ望ム-部分-明治44年以後.jpg

南校舎の前に体育館(大正10年1921年建築)の白い建物がないということはそれ以前、さらにユニオン尖塔が見当たらないということで-明治43年(1910年)献堂以前、そして下掲1921-体育館-横濱花園橋ヨリ吉濱橋ヲ望ムの写真をみると体育館(大正10年1921年建築)の白い建物が確認できるということはこの写真は大正10年(1921年)から大正12年(1923年)9月1日以前とわかる。
資料
フエリス和英女学校六十年史 
發展時代三 大正九年十月より大正十二年九月に至る / 185~242
五拾年記念後の三ケ年 / 204~229
二、 體操塲の落成 / 208~209(ママ)


1921-体育館-横濱花園橋ヨリ吉濱橋ヲ望ム
1921-体育館-横濱花園橋ヨリ吉濱橋ヲ望ム.jpg


1910-ユニオン教会Yokohama Union Church-明治43年(1910年)献堂
1906-カトリック山手教会-明治39年(1906年).jpg

1906-カトリック山手教会-明治39年(1906年)献堂
1910-ユニオン教会Yokohama Union Church-明治43年(1910年).jpg

フェリス和英女学校-山手178番
カトリック山手教会-山手44番地
ユニオン教会-山手48番・49番
1882-久米原雪谷-新刻横浜区案内全図
1882-久米原雪谷-新刻横浜区案内全図.jpg

双子尖塔がカトリック山手教会-山手44番地の建物と思われていたが疑問がある。
地図で確認できる場所と離れすぎている。
いつかこの建物の場所と名称がはっきりすれば追加書き込みをする予定です。

2020年1月22日19時
1897-改正横浜市全図明治30年(1897年)
この地図も正確な計測と少し違うようだが今までの繪図よりは正確さが格段だ・
謎の橋はないが必要な情報は加えてあるが元町百段・大神宮は描かれていない。
派大岡川の角度からすれば右手へ多きくそれても仕方なさそうだ。
戦後の地図でも派大岡川の正面左がフェリスで44番は角度が付く位置だった。
1897-改正横浜市全図明治30年(1897年).jpg

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント