横浜の堀(運河)と橋 14

2020年2月1日(土)
吉田川と周辺の運河-2

日之出川-全長は約603mの運河
明治6年(1873年) 日ノ出川完成・南一ツ目沼地埋立
昭和31年(1956年)日ノ出川埋立完成
富士見川-運河
明治19年(1886年)富士見川完成
明治29年(1896年)富士見川埋立完成
新富士見川-全長235.5mの運河
明治30年(1896年)新富士見川完成
昭和48年(1973年)新富士見川埋立完成


日ノ出川-全長約603mの運河
明治6年(1873年) 日ノ出川完成・南一ツ目沼地埋立
昭和31年(1956年)日ノ出川埋立完成
中村川(車橋と翁橋の間)→松影橋・扇橋・日之出橋・権蔵橋→新吉田川(千秋橋と鶴の橋の間)

工拱桁橋=I アーチ桁橋
工形鋼桁橋=I 形鋼桁橋
混凝土=コンクリート
拱橋=アーチ橋

地図と橋の変遷-東から西へ-全4橋
橋の数と名前の変遷-地図上のみ

4橋記載-名前なし(松影橋)・名前なし(扇橋)・HINODEHASHI・名前なし(権蔵橋)
1876-改正横濱案内繪圖-尾崎富五郎-明治9年(1876年)

4橋記載-松影橋・扇橋・記入なし(日之出橋)・記入なし(権蔵橋)
1885-〈改正〉銅版横浜地図-尾崎富五郎-明治18年(1885年)

3橋記載-記入なし(松影橋)・記入なし(扇橋)・日ノ出橋
1891-横浜真景一覧図絵-尾崎富五郎-明治24年(1891年)

3橋記載-松影橋・扇橋・日之出橋
1920-訂正九版横浜市全図-有隣堂-大正9年(1920年)

4橋記載-松影橋・扇橋・記入なし(日之出橋)・記入なし(権蔵橋)
1929-復興完成番地入 大横浜市交通地図-田中孫六-昭和4年(1929年)

松見橋(松影橋)
明治6年(1873年)頃架橋?
大正15年(1926年)11月29日-構構桁橋-架け替え

扇橋
明治6年(1873年)頃架橋?
昭和2年(1927年)3月24日-工形鋼桁橋-架け替え

日之出橋(日出橋)
明治6年頃架橋-鶴の橋-明治6年4月鶴・亀・日ノ出ノ3橋に名ヲ付ス。(黒土)
昭和2年9月26日-工形構桁橋-架け替え

権蔵橋?
明治6年(1873年)頃架橋?


新吉⽥川と新富⼠⾒川を群⾺県出⾝の伏島近蔵⽒らの尽⼒により、それぞれ明治29年(1896)、30年(1897)に完成

新富士見川-全長235.5mの運河
明治30年(1896年)完成
昭和48年(1973年)埋立
新吉田川→駿河橋→南吉田橋→万治橋→大岡川

はまれぽ.com
https://hamarepo.com/story.php?page_no=1&story_id=5318

地図と橋の変遷-東から西へ-全3橋
橋の数と名前の変遷-地図上のみ
新吉田川→駿河橋→南吉田橋→万治橋→大岡川
地図によって微妙に位置がずれている、駿河橋は市電が通る前と後の差が大きいのだろうか。

3橋記載-名前なし(駿河橋)→名前なし(南吉田橋)→名前なし(万治橋)
1897-改正横浜市全図-鈴木陌三郎編-明治30年(1897年)

3橋記載-スルガハシ→南吉田橋→万治橋
1905-横濱明細新圖-鈴木金輔-明治38年(1905年)

3橋記載-駿河橋→南吉田橋→万治橋
1920-訂正九版横浜市全図-有隣堂-大正9年(1920年)

3橋記載-駿河橋→名前なし(南吉田橋)→名前なし(万治橋)
1929-復興完成番地入 大横浜市交通地図-田中孫六-昭和4年(1929年)

駿河橋
明治30年頃 架橋
横浜電気鉄道-羽衣線-明治44年(1911年)12月23日開通(吉野町1丁目)、この時架け替えられたか。
昭和2年5月-板桁橋-架橋
横濱日本橋電車終點-駿河橋から日本橋
日本橋が終点になる線は、西戸部線-大正5年(1916年)10月21日開通後。
横濱日本橋電車終點-駿河橋から日本橋.jpg

南吉田橋
明治30年頃 架橋
昭和2年2月6日-鋼板桁橋-架け替え

万治橋
明治30年頃 架橋
昭和2年7月26日-鋼板桁橋-架け替え

富士見川
明治19年(1886年)富士見川完成
明治29年(1896年)富士見川埋立完成
堀留→千歳橋→眞金橋→富士見橋→(交差・新吉田川)→雲井橋→賑橋→中村川

明治30年完成の新富士見川が開鑿された際不要(人口増加による土地の確保)となった運河の埋め立てにより富士見川の橋は廃止(明治29年6月)されています。
西は若葉町二丁目で船留があり其処から吉田川を抜けて中村川とつながる運河。
明治15年(1882年)に富士見川に5本の橋が架橋された。
西から賑橋、雲井橋、新吉田川を挟んで富士見橋、眞金橋、千歳橋其の先で中村川になるのだが明治14年(1881年)発行の内務省地理局測量課編横浜実測図の地図ではすでに雲井橋眞金橋が載せられている上1875-改正新刻横浜案内絵図-五葉舎万寿老人(尾崎富五郎)(明治7年1874年~8年1875年版)では5本の橋がすでに描かれている。
尾崎富五郎の地図上賑橋が脤橋(ヒモロギ)との間違いが多い。

地図と橋の変遷-東から西へ-全5橋
橋の数と名前の変遷-地図上のみ
中村川→千歳橋→眞金橋→富士見橋→(交差・新吉田川)→雲井橋→賑橋→堀留

5橋記載-記入なし(千歳橋)→記入なし(眞金橋)→記入なし(富士見橋)→記入なし(雲井橋)→記入なし(賑橋)
1875-改正新刻横浜案内絵図-五葉舎万寿老人(尾崎富五郎)(明治7年1874年~8年1875年版)

5橋記載-千年橋→真金橋→記入なし(富士見橋)→記入なし(雲井橋)→脤橋(隣接賑町)
明治15年(1882年) 08月 賑町に賑橋架橋 
1891-横浜真景一覧図絵-尾崎富五郎-明治24年(1891年)
1891-横浜真景一覧図絵-尾崎富五郎-明治24年(1891年)脤橋(賑橋).jpg

4橋記載-記入なし(真金橋)→記入なし(富士見橋)→記入なし(雲井橋)→脤橋(橋名表は賑橋)
1894-改良横浜全図 再版-尾嵜富五郎-明治27年(1894年)

3橋記載-フ士見ハシ→記入なし(雲井橋)→ニギワイハシ
1895-新撰横浜全図 再版-倉田太一郎-明治28年(1895年)


千歳橋
明治15年(1882年)架橋?

眞金橋
明治15年(1882年)架橋?

富士見橋
明治15年(1882年)架橋?

雲井橋
明治15年(1882年)架橋?

賑橋
明治15年(1882年)架橋?
脤橋(ヒモロギ)と尾崎富五郎は印刷間違いを数多くしている。


永真遊郭
永楽町遊郭(旧千歳町、旧山田町、旧富士見町、旧山吹町の各3丁目を造成し永楽町1・2丁目と町名改正)
真金町遊郭(旧山田町、旧富士見町4・5丁目を造成し真金町1・2丁目と町名改正)

永楽町遊郭は明治16年秋頃順次移転。
一番は岩亀楼-永楽町2丁目大門通り西側-真金橋際。

明治29年(1896年)6月-富士見川埋立完成-永楽町遊郭と真金町遊郭を統合し永真遊郭となる。
約2万坪(約6万6000平方メートル)

うなぎ上りの大繁栄
明治26年(1893年)-貸座敷数56軒・娼妓数778人
+4軒の外国人専用妓楼
ナンバナイン(No.9)・ハナハウス・クスハウス・さくらや
明治41年(1908年)-貸座敷数67軒・娼妓数1463人
大正元年(1912年)-貸座敷数80軒・娼妓数1800人
衰退期
大正11年(1922年)-貸座敷数83軒・娼妓数1200人
大正12年(1923年)9月1日関東大震災被害
貸座敷総数83軒全滅・娼妓人数1027人中犠牲者144人
昭和4年(1929年)-貸座敷数70軒・娼妓数525人
昭和33年(1958年)5月21日-売春防止法施行

永楽町遊郭と真金町遊郭の間の富士見川の橋で、大門から金毘羅(大鷲)神社までまっすぐに貫く道を結んだのは真金橋と富士見橋が描かれていて判定ができない。
1891-横浜真景一覧図絵-尾崎富五郎-明治24年(1891年)に従えば真金バシと之が一番順当かもしれない。
1891-横浜真景一覧図絵-尾崎富五郎-明治24年(1891年)遊郭.jpg

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