横浜の遊郭と火事の歴史-7

2020年2月16日(日)
横浜遊郭 - 栄枯盛衰-2
高島町・永真遊郭時代

1875-横浜新海地高島町鉄道之真景-国松-明治8年(1875年)頃
左-岩亀楼・中-岩井座・右-神風楼
岩井座は八代岩井半四郎によって開設-明治5年~明治15年
遊郭のど真ん中に開くとは勇気がありすぎて怖いくらいだ。
横浜新海地高島町鉄道之真景-国松-明治8年(1875年)頃.jpg

高島町遊郭
岩亀楼(一丁目富士見橋海側)・神風楼(二丁目富士見橋際海側)・勢州楼・二葉楼・二神楼・天津楼・一月楼・他不明分多し
局見世-五丁目~八丁目の第三区
芝居-岩井座

港崎で伊勢楼は神風楼となったのか、別の土地かと悩み細見から図面を起こして対応する揚り屋を当てはめると、元治2年では伊勢楼の土地に神風楼となるようだ。
吉原町では両方の揚り屋が営業している、高島町に伊勢楼が見世を出したか調べがつかない。
高島町からさらに永楽町二丁目に見世を出した勢州楼がそうではないかと推測しているのだが。

 
明治15年(1882年)-貸座敷59軒、娼妓509人
(神奈川県統計書)

永真遊郭
明治26年(1893年)5月1日-貸座敷56軒・娼妓778人
大店11軒+小店41軒+外国人専用貸座敷4軒(娼妓数不明)
ナンバナイン(No.9)・ハナハウス・クスハウス・さくらや
神風楼35人・勢州楼40人(第一・第二)・一圓楼19人
松月楼31人・金岡楼28人・松俵楼10人
玉井楼13人・壽楼17人・金寶楼12人
錦楼8人・蓬莱楼23人・二葉楼44人
一月楼18人・川和泉楼29人・天津屋32人
旭大黒3人・萬理楼23人・市川楼13人
二宮楼19人・橋本楼12人・金花楼11人
伯一楼13人・三日月楼17人・新壽楼7人
本萬楼10人・柴田楼8人・浪花楼6人
永盛楼11人・菊本楼9人・川柳楼19人
反町楼6人・旭楼5人・西村楼8人
福大黒楼13人・新岩亀楼7人・金田楼8人
寶遊楼15人・遊楽楼20人・若葉楼9人
亀橋楼10人・水本楼10人・川島楼6人
千歳楼13人・長舟楼6人・五十鈴楼7人
松島楼4人・中川楼5人・第二金岡楼12人
栄玉楼7人・宝来楼5人・岩亀楼12人

岩亀楼・新岩亀楼の名も見えるが明治17年(1884年)9月15日の暴風雨により岩亀楼倒壊廃業と同じ横浜市史稿風俗編に出ていた、どちらを信じればいいのかな。
さらに伊藤痴遊は(全集続第8巻356p)に岩亀楼は高島町時代に店じまいしたと書く始末だ,この本では神風楼のルビに「じんぷうろう」ではなく「しんぷうろう」としてある、そのせいか新風楼と間違う人も出ている。

明治41年(1908年)-貸座敷67軒・娼妓1463人

大正元年(1912年)-貸座敷80軒・娼妓1800人

大正12年(1923年)9月1日関東大震災被害
貸座敷83軒全滅・娼妓1027人中犠牲者144人
この後、神風楼は記録に出てこない。

昭和4年(1929年)-貸座敷70軒・娼妓525人
まさにこの年1929年10月24日(木曜日)ニューヨークウォール街での株価暴落に始まる世界大恐慌に加えて日本は金を解禁し経済的打撃に翻弄されていった。
金解禁後わずか2か月で約1億5,000万円もの正貨が流出、1930年(昭和5年)を通して2億8,800万円が海外へ出て行った。

昭和10年(1935年)~昭和20年(1945年)
三日月・辰巳・秋月・松竹・伯一・稲本・宝國・イロハ・第一イロハ・成田・蓬莱・金蓬莱・仙蓬莱・二宮・長盛・長盛本店・第二長盛・第三長盛・金宝・金城・金亀・金重・金松・金清・金車・金久・高勢・八幡・五十鈴・喜栄・勢州・鈴芳・第一松葉・第一鈴本・富士見・富士・倉田・第二金栄・福泉・松葉・辰川・正直・三喜・第一三喜・繁好・第一繁好・開盛・金月・太陽・三美・三宗・松島・旭屋・ローマ
すべてが貸座敷とは限らないがこれ以外にも小さな店があったようだ。

昭和20年(1945年)5月29日-横浜大空襲-全焼
横浜市死者-実数8千~1万人ともいわれる。

赤線時代
貸座敷190軒-娼妓700人程度

昭和32年(1957年)4月1日-売春防止法施行
昭和33年(1958年)4月1日-売春防止法猶予期間終了、赤線廃止


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