横浜の遊郭と火事の歴史-9

2020年2月18日(火)
横浜遊郭 - 高島町遊郭(期限付き)-2
移転完了通知-明治5年7月20日届け出
高島町一丁目~八丁目
明治5年11月(1872年12月)開業~明治14年(1881年)3月~5月撤去

主な遊女屋
岩亀楼(一丁目富士見橋際海側)・神風楼(二丁目富士見橋際海側)・勢州楼・二葉楼・二神楼・天津楼・一月楼 
明治8年(1875年)10月神風楼新装3層の楼閣誕生
高島町一丁目→富士見橋→二丁目・三丁目・四丁目→萬里橋→五丁目・六丁目・七丁目・八丁目・大鷲神社・金比羅神社→月見橋→九丁目・十丁目・神奈川ステーション


1875-高島町一丁目-神風楼-明治8年(1875年)
1875-高島町一丁目-神風楼 -明治8年.jpg

1875-横浜高島町神風楼之図-歌川国松-明治8年(1875年)
1875-横浜高島町神風楼之図 歌川国松-明治8年(1875年).JPG

1875-武陽横浜神風楼賑之図-豊重(国松)-明治8年(1875年)8月
1875-武陽横浜神風楼賑之図-国松-明治8年(1875年)8月a.jpg

横浜居留地と周辺の火災

明治6年(1873年)3月22日-箱屋火事(黒土)
相生町から出火、1557戸焼失。
この火災は明治6年3月22日-北西の風の強く吹き荒れた夜に入って直ぐ起きたため大きな範囲に広がり火元は相生町三丁目の箱屋某方とされた。
相生町は二丁目三丁目四丁目、末広町一丁目三丁目、高砂町一丁目二丁目三丁目、尾上町一丁目二丁目三丁目、住吉町一丁目二丁目三丁目四丁目、常磐町一丁目二丁目三丁目四丁目、真砂町三丁目、港町一丁目三丁目など二十余町千五百五十七戸が焼失したが火事による死者の報告はただ一人のみであった。
富貴楼は駒形町の店を明治6年の火災で住吉町からの飛び火で全焼したあと尾上町へ移った。

明治9年(1876年)6月-弁天通り失火
明治10年(1877年)3月17日-元町五丁目大火、200戸焼失
明治11年(1878年)-神奈川大火(横浜市の消防沿革・横浜開港五十年史ともに記載なし) 
明治12年(1879年)1月12日-元町五丁目大火、300戸余焼失。
明治12年(1879年)12月26日 青木町大火、220戸焼失
明治13年(1880年)2月22日0時50分頃、マグニチュード5.5~6.0程度と推定される横浜地震が発生
明治13年(1880年)5月4日-伊勢佐木町一丁目から姿見町まで延焼、104戸焼失
明治13年(1880年)10月02日 戸部町6丁目から出火、120戸焼失
明治13年(1880年)12月10日 弁天通4丁目から出火、本町延焼180戸焼失。
明治13年12月-吉田町失火、雨に助けられて大きな火事にはならずに済んだ。

仮宅移転前の数字か、横浜高島町(西区)だそうだが、15年の統計表は未見。
明治15年(1882年)-貸座敷59軒、娼妓509人

長者町3丁目仮宅
明治14年(1881年)4月~明治15年(1882年)4月

明治13年(1880年)秋の風災害により年末ごろに移転した貸座敷があったという話あり。
最後の貸座敷が退去し真金町・永楽町に移転したのが明治21年(1888年)6月30日と記録あり。

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