横浜の遊郭と火事の歴史-12

2020年2月21日(金)
横浜遊郭 – 永楽町・真金町-1
最盛期から大震災・大空襲・赤線時代へ

長者町3丁目仮宅~明治15年5月(1882年)永楽町・眞金町への移転始まる~明治21年(1888年)6月30日移転完了~永真遊郭-明治29年(1896年)6月~昭和33年3月(1958年)売春防止法施行猶予期間終了-遊郭閉鎖

永楽町遊郭
旧千歳町、旧山田町、旧富士見町、旧山吹町の各3丁目を造成し永楽町1・2丁目と町名改正

真金町遊郭
旧山田町、旧富士見町4・5丁目を造成し真金町1・2丁目と町名改正
明治21年7月移転完了

1891-横浜真景一覧図絵-尾崎富五郎-明治24年(1891年)遊郭
1891-横浜真景一覧図絵-尾崎富五郎-明治24年(1891年)-遊郭.jpg

明治29年(1896年)6月-富士見川埋立完成-永楽町遊郭と真金町遊郭を統合し永真遊郭となる。
約2万坪(約6万6000平方メートル)

うなぎ上りの大繁栄

明治15年(1882年)-貸座敷59軒 娼妓509人
(長者町3丁目仮宅・高島町)
金刀比羅神社-明治15年(1882年)4月-現在の真金町に遷座

明治16年(1883年)-貸座敷45軒、娼妓429人
明治17年(1884年)-貸座敷64軒、娼妓528人
明治18年(1885年)-貸座敷67軒、娼妓670人
明治19年(1886年)-貸座敷74軒、娼妓760人
明治20年(1887年)-貸座敷83軒、娼妓970人
明治21年(1888年)-貸座敷96軒、娼妓1109人
明治22年(1889年)-貸座敷85軒、娼妓1015人
明治23年(1890年)-貸座敷86軒、娼妓1225人

永楽町-明治24年(1891年)貸座敷38軒、娼妓513人
眞金町-明治24年(1891年)貸座敷40軒、娼妓441人

永楽町-明治25年(1892年)貸座敷34軒、娼妓478人
眞金町-明治25年(1892年)貸座敷33軒、娼妓428人

永楽町-明治26年(1893年)貸座敷29軒、娼妓516人
眞金町-明治26年(1893年)貸座敷30軒、娼妓467人
↑神奈川県統計書を引用
↓横濱史稿風俗編
明治26年(1893年)5月1日-貸座敷56軒・娼妓778人
大店11軒+小店41軒+外国人専用貸座敷4軒(娼妓数不明)
ナンバナイン(No.9)・ハナハウス・クスハウス・さくらや
神風楼35人・勢州楼40人(第一・第二)・一圓楼19人
松月楼31人・金岡楼28人・松俵楼10人
玉井楼13人・壽楼17人・金寶楼12人
錦楼8人・蓬莱楼23人・二葉楼44人
一月楼18人・川和泉楼29人・天津屋32人
旭大黒3人・萬理楼23人・市川楼13人
二宮楼19人・橋本楼12人・金花楼11人
伯一楼13人・三日月楼17人・新壽楼7人
本萬楼10人・柴田楼8人・浪花楼6人
永盛楼11人・菊本楼9人・川柳楼19人
反町楼6人・旭楼5人・西村楼8人
福大黒楼13人・新岩亀楼7人・金田楼8人
寶遊楼15人・遊楽楼20人・若葉楼9人
亀橋楼10人・水本楼10人・川島楼6人
千歳楼13人・長舟楼6人・五十鈴楼7人
松島楼4人・中川楼5人・第二金岡楼12人
栄玉楼7人・宝来楼5人・岩亀楼12人

ここに五十鈴楼が再登場するが港崎の五十鈴楼との関連は不明。
NECTARINE No.9は七軒町から明治33年(1900年)5月移転との情報もあるがこの資料ではすでに名前が出ている、高島町→永楽町と七軒町と並立していたのかもしれない。
岩亀楼・新岩亀楼の名も見えるが明治17年(1884年)9月15日の暴風雨により岩亀楼倒壊廃業と同じ横浜市史稿風俗編に出ていた、どちらを信じればいいのかな。
さらに伊藤痴遊は(全集続第8巻356p)に岩亀楼は高島町時代に店じまいしたと書く始末だ,この本では神風楼のルビに「じんぷうろう」ではなく「しんぷうろう」としてある、そのせいか新風楼と間違う人も出ている。
その神風楼だが大正9年温室を作り菊祭りで人を集める工夫をしている。
神風楼も大正大震災で記録が途絶え情報が少なくなった。
その情報は永井荷風が日記の中で神風楼を再建せよと書いたのが昭和15年というわずかの記事だ。

1884年(明治17年)9月15日~18日-
15日と18日、連続して台風が日本列島を襲い、全国的に大きな被害が出た。
14日午後に九州西方海上で温帯性低気圧として発生、翌15日になると急激に発達して豪雨と強風を伴った台風となり、紀伊半島に上陸後、本州南東部を横切り、同日夕刻には早くも金華山沖へと抜けた。この影響で、近畿地方から紀伊半島、東海、関東、東北南部にかけての各地が暴風雨に見舞われ大きな被害が出た。
 続いて17日、九州に上陸、翌18日、東京付近を通過して銚子沖に去った台風によって、長崎、熊本、福岡など北九州一円に大きな被害が出るなど、暴風雨の影響は関東一円にまで及んだ。
この15日と18日、両日の暴風雨で、特に東京では深川区、芝区及び麻布区(現・港区)、小石川区(現・文京区)に被害が集中、19人死亡、1700戸ほどが全半壊するなど、全被災地で197人死亡、344人負傷。家屋全潰4万4810軒、同半潰3万6818軒、同破損27万2079軒に達した。
(全被災地被害数は東京市史稿)
残念ながらこの日の横浜の暴風による被害の詳細な記録は見つからないが、明治17年に横浜駅の双子駅舎の二つの屋舎を結ぶ弓型連絡廊が吹き飛ばされたとの記録があった。


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