横浜の遊郭と火事の歴史-14

2020年2月23日(日)
横浜遊郭 – 永楽町・真金町-3
最盛期から大震災・大空襲・赤線時代へ

長者町3丁目仮宅~明治15年5月(1882年)永楽町・眞金町への移転始まる~明治21年(1888年)6月30日移転完了~永真遊郭-明治29年(1896年)6月~昭和33年3月(1958年)売春防止法施行猶予期間終了-遊郭閉鎖

永楽町大正元年(1912年)貸座敷36軒、娼妓748人
眞金町大正元年(1912年)貸座敷38軒、娼妓598人

大正2年(1913年)-貸座敷74軒・娼妓1276人
大正3年(1914年)-貸座敷74軒・娼妓1134人

第一次世界大戦(英語World War I・略称WWI)
大正3年(1914年)7月28日~大正7年(1918年)11月11日 
連合国-戦死者553万人戦傷者1283万人・行方不明412万人
中央同盟国-戦死者439万人・戦傷者839万人・行方不明363万人

大正4年(1915年)-貸座敷75軒・娼妓1256人
大正5年(1916年)-貸座敷78軒・娼妓1185人
大正6年(1917年)-貸座敷79軒・娼妓1162人
大正7年(1918年)-貸座敷80軒・娼妓1074人
大正8年(1919年)-貸座敷81軒・娼妓965人
大正9年(1920年)-貸座敷82軒・娼妓994人
1920-神風楼の菊見-大正9年(1920年)-1
1920-神風楼の菊見-大正9年(1920年)-1.jpg

1920-神風楼の菊見-大正9年(1920年)-2
1920-神風楼の菊見-大正9年(1920年)-2.jpg

大正10年(1921年)-貸座敷83軒・娼妓1047人
大正11年(1922年)-貸座敷軒・娼妓人 未見

大正11年(1922年)1月30日永楽町火災-200戸余焼失内貸座敷60軒余焼失。
大正11年貸座敷数83件娼妓数1200人との情報あり。

大正12年(1923年)-貸座敷?軒・娼妓?人

ふたつの震災誌
大正12年(1923年)9月1日関東大震災被害
貸座敷総数83軒全滅・娼妓人数1027人中犠牲者144人
貸座敷雇人687名中105名死亡
大正大震火災誌. 1-神奈川県警察部-大正15年(1926年)
149p-眞金町遊郭の被害
眞金町遊郭は眞金町及永楽町の地二萬坪を一郭とし四面板塀を繞らし、
此に業を営む貸座敷は八十三軒あり之が建物は何れも大廈高樓にして、
大部分は強震の爲倒潰し多くの壓傷死者を出し、次で廓外より發せる
猛火の爲廓内は延焼全滅せり、廓内に於ける死者数を調ぶるに、震前
娼妓一千二十七名中死者一百四十四名、貸座敷雇人六百八十七名中百
0五名の死亡者を出せるが、此の内一戸に於いて多數死者を出せるは、
永楽町神風樓事山口美代方二十三名、仝町二葉樓事原田すい方十九名、
仝町いろは樓事林金蔵方二十六名なり。

死者450名、娼妓220名、楼主9名、やり手・妓夫太郎124名
1926-横浜市役所-横浜市震災誌-第二冊
13真金町-永楽118-コマ67
廓内約二万坪、貸座敷83戸、引手茶屋9戸、芸妓屋6戸、総戸数419戸、人口4150人(娼妓約1千人、芸妓50余人)。
第一震で反町楼を残しすべて倒壊。
死者450名、娼妓220名、楼主9名、やり手・妓夫太郎124名
美好楼-安藤利喜蔵夫婦、老母と子供3名・娼妓10名死亡。
神風楼-山口美代方では若主人が生き残り、主人・家族・娼妓等23名死亡。

1909以降-ヨカロー・煙草屋・第一和廣楼-8番地・新岡濃楼-7番地・神風楼-6番地
(電柱3連)
1909以降-ヨカロー・新岡濃楼・神風楼.jpg

1923以前-奥3階建て(向かい側に神風楼)から手前に永楽町1丁目11番地‐12番地‐13番地。明治42年(1909年)以降(左側電柱6連・右側4連)
1923以前-奥3階建てから手前に11番地‐12番地‐13番地.jpg

1909以降-横浜神風楼No.9・永楽町1丁目6番地
明治42年(1909年)以降(電柱2連とトランス、電線4本)
1909以降-横浜神風楼No.9・永楽町1丁目6番地.jpg

1909以降-左側手前-高島町の時代に見世を開いた二葉楼の日本館・左側2軒目二葉楼西洋館・永楽町2丁目17番地、其のさき電柱が大通り、左へ行くと大門、右は金刀比羅大鷲神社、西洋館の向かいが真金町二丁目21番地。明治42年(1909年)以降(左側電柱3連・右側3連)
1909以降-左側手前-高島町の時代に見世を開いた二葉楼の日本館・左側2軒目二葉楼西洋館.jpg

1909-ここも老舗、左手前第二勢州楼・奥一圓楼-永楽町1丁目8番地、道は富士見川埋地。明治42年(1909年)(電柱左側4連とトランス・右側6連)
1909-左手前第二勢州楼・奥一圓楼-永楽町1丁目8番地.jpg

1909前後-左側第一三日月楼・永楽町1丁目8番地、富士見川埋地の先の洋館風は三笠楼・真金町1丁目11番地、大通りの反対側に二葉楼西洋館-玄関に比べて侘しい-明治42年(1909年)前後
(電柱左側3連・右側3連と4連)
1909前後-左側第一三日月楼・永楽町1丁目8番地.jpg

1909以前-左側洋館風三笠楼・眞金町1丁目11番地、手前右側にあるのは二葉楼で西洋館の3階がない、同じ方向からの写真は第一三日月楼の物がある、絵付師の腕によって風情も変わる。明治42年(1909年)以前のはずだが。(電柱3連とトランス)
1909以前-左側洋館風三笠楼.jpg

1909-左側洋館風三笠楼・眞金町1丁目11番地、手前右側にあるのは二葉楼で西洋館の側面-明治42年(1909年)。
1909 -左側洋館風三笠楼・眞金町1丁目11番地.jpg

1909以降-右側洋館風三笠楼・眞金町1丁目11番地、間の道は富士見川埋地、その先が第一三日月楼・永楽町1丁目8番地、遠くに大門が見える。明治42年(1909年)以降(電柱左側3連と右側4連)
1909以降-右側洋館風三笠楼・眞金町1丁目11番地.jpg

私製絵葉書
明治33年(1900年)~明治39年(1906年)表面住所氏名のみ
昭和8年(1933年)~昭和19年(1944年)「きかは便郵」→「きがは便郵」に表示変更

「壱銭五厘」切手の場合-1937年(明治32年)4月1日 〜1937年(昭和12年)3月31日迄
「二銭」切手の場合-1937年(昭和12年)4月1日〜1944年(昭和19年)3月31日迄

横浜限定年代判定基準
横浜絵葉書-明治33年(1900年)9月1日以降
初期モノクロ印刷に手彩色絵葉書。
電柱-電気会社設立-明治22年9月試験送電開始(電力柱)
初期電柱寿命8年-改良により20年に延びる。
電線と電話線
トランス
電線の数・開港50周年記念絵葉書-明治42年(1909年)-この時の電柱、電線によって前後を判断。
絵葉書問屋トンボヤ-伊勢佐木町店明治38年(1905年)開業
都市発展記念館-開業は明治40年(1907年)としている。
1905年のスタンプ入りはがきが存在。


大正13年(1924年)貸座敷67軒、娼妓446人
大正14年(1925年)貸座敷68軒、娼妓473人
大正15年は昭和元年へ

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