横浜の堀(運河)と橋 15

2020年2月2日(日)
中村川と堀川

中村川 全長3000m
吉田新田開拓時
現存

堀川 全長900m
万延元年(1860年)開削
現存 

工拱桁橋=I アーチ桁橋
工形鋼桁橋=I 形鋼桁橋
混凝土=コンクリート
拱橋=アーチ橋

中村川
大岡川→葭谷橋→吉野橋→共進橋→日枝橋→睦橋→池下橋→(分流・堀割川)→久良岐橋→道場橋(同情橋)→浦舟水道橋「人道橋」→三吉橋(仲ノ橋)→万世橋「人道橋」→土方ハシ(原木橋・富士見川跡付近)→東橋(土方橋)→名前なし(資料なし-浦舟町2⇔遊行坂下)→車橋→翁橋→亀の橋→不明(石炭庫⇄石川一丁目)→「石川町駅前歩道橋」→(分流・派大岡川)・下流堀川→西の橋→前田橋→谷戸橋→山下橋→東京湾
 
上流(南)から(分岐付近は切れ多し)
橋の数と名前の変遷-地図上のみ・全19橋

4橋記載-記入なし(葭谷橋)・記入なし(三吉橋)・クルマハシ・記入なし(亀の橋)
1870-新鐫横浜全図-五葉舎万寿老人-明治3年(1870年)

4橋記載-記入なし(三吉橋)・車ハシ・翁ハシ・亀ノハシ
1877-改正横浜明細地図 新訂-尾崎富五郎-明治10年(1877年)9月

6橋記載-記入なし(三吉橋)・記入なし(東橋)・車橋・翁橋・亀ノ橋・名前なし(石炭庫⇔石川一丁目)
1891-横浜真景一覧図絵-尾崎富五郎-明治24年(1891年)

7橋記載-記入なし(久良岐橋)・記入なし(道場橋)・土方ハシ(原木橋・富士見川跡付近)・土方バシ(東橋)・車ハシ・オキナバシ・亀ノ橋
1897-改正横浜市全図-鈴木陌三郎編-明治30年(1897年)

7橋記載(仲村川筋)-久良岐橋・仲ノ橋(三吉橋・現横浜橋通商店街付近)・原木橋(土方ハシ・富士見川跡付近)・土方橋(東橋)・車橋・翁橋・亀ノ橋
1905横濱明細新圖-鈴木金輔-明治38年(1905年)

12橋記載-葭谷橋・幸進橋・記入なし(共進橋)・記入なし(池下橋)・久良岐橋・道場橋・三吉橋・土方橋(東橋)・車橋・翁橋・亀之橋・記入なし(石炭庫⇔石川一丁目)
1920-訂正九版横浜市全図(有隣堂)大正9年(1920年)

13橋記載-葭谷橋・幸進橋・記入なし(共進橋)・記入なし(池下橋)・(分流・堀割川)・久良岐橋・道場橋・三吉橋・土方橋(東橋)・車橋・翁橋・亀橋・記入なし(石炭庫⇔石川一丁目)
1928-昭和3年(1928年)発行-横濱市全圖 : 昭和調査番地入-松信大助

14橋記載-葭谷橋・吉野橋・共進橋・日枝橋・睦橋・池下橋(分流・堀割川)・久良岐橋・道場橋・三吉橋・東橋・記入なし(資料なし-浦舟町2⇔遊行坂下)・車橋・翁橋・亀橋
1929-復興完成番地入 大横浜市交通地図-田中孫六-昭和4年(1929年)

14橋記載-葭谷橋・吉野橋・共進橋・日枝橋・睦橋・池下橋(分流・堀割川)・久良岐橋・道場橋・三吉橋・記入なし(東橋)・記入なし(資料なし-三吉町2⇔遊行坂下)・車橋・翁橋・亀橋
1934-横濱市全圖 : 最新實測番地入-秋山不二男-昭和9年(1934年)

葭谷橋
中村川最古の橋といわれる。
昭和2年6月-肘木式板桁橋-架け替え
昭和59年3月-架け替え
川の町・横浜-横濱日枝神社付近の写真に葭谷橋が写っている。

吉野橋
大正15年10月-鋼板桁橋-架け替え
昭和61年7月改修
鉄筋コンクリート造ラーメン式橋台、上路式単純鋼板桁橋
健在
幸進橋としてある地図
大正9年(1920年)-訂正九版横浜市全図(有隣堂)
大正13年(1924年)発行-横濱市全圖 : 大正調査番地入-松信大助
昭和3年(1928年)発行-横濱市全圖 : 昭和調査番地入-松信大助

共進橋
昭和2年11月11日-工形鋼桁橋-架け替え
昭和57年9月-I形鋼桁橋-架け替え
親柱4基都橋へ移動
余談- 4代⽬吉⽥橋の袖⾼欄は昭和56年(1981年)港北区⿃⼭⼤橋の親柱。
余談-昭和48年(1973)花園橋の親柱は港中学校⾨扉前に引越し。

日枝橋
大正15年4月18日-鋼板桁橋-架け替え
昭和57年9月-鋼板桁橋-架け替え
親柱-共進中学校へ移設門柱

睦橋
昭和3年4月17日-工形鋼桁橋-架け替え
昭和62年10月-I形鋼桁橋-架け替え

池下橋
昭和4年4月10日-工拱桁橋-
平成3年-鋼アーチ橋-架け替え
親柱は前橋のものを引き継ぐ

(分流-堀割川・分流-新吉田川)

久良岐橋
大正15年7月12日-鋼構桁橋-架け替え
昭和63年11月-鋼構桁橋-架け替え
久良岐郡の昔をしのぶ名前はあとは久良岐公園くらいか。

道場橋(同情橋)
昭和2年4月15日-工形鋼桁橋-架け替え
昭和63年7月-I形鋼桁橋-架け替え

浦舟水道橋「人道橋」
ドンドン橋時代 詳細不明
現橋
明治26年(1893年)西之橋として架橋
昭和2年(1927年)翁橋に転用
平成元年(1989年)規模縮小して人道橋架橋

三吉橋
昭和2年3月5日-工形鋼桁橋-架け替え
昭和63年9月-I形鋼桁橋-架け替え

万世橋「人道橋」

仲ノ橋(三吉橋・現横浜橋通商店街付近)

原木橋(土方ハシ・富士見川跡付近)

東橋(土方橋)
昭和2年4月14日-工形鋼桁橋-架け替え
昭和63年8月-I形鋼桁橋-架け替え

横濱百景ノ内土方橋-遠景に大屯所の望楼らしきものが写るということは、角度からして車橋と同じように土方橋と言われていた東橋と思われる。
車橋が大震災前に2回鉄橋になったかは不明だが、木橋の写真は見ていない、横浜彩色写真にある車橋は鉄橋だが大震災以後の橋(I型鋼橋)とは思えない、トラス橋(ワーレントラス)なのだが資料がない。
横濱百景ノ内土方橋.jpg

横濱車橋ノ景
横濱車橋ノ景.jpg

車橋(土方橋)
明治6年(1873年)架橋
大正4年(1915年)ワーレン式構桁架橋
昭和2年9月16日-工型鋼橋-架け替え
昭和64年1月-I形鋼桁橋-架け替え

1915-大正4年(1915年)ワーレン式構桁架橋-車橋架設工事
横浜市水道拡張記念(大正4年10月20日発行横濱市水道局)
市内長者町ヨリ石川町ニ向ヒ中村川に架セル徑間七十八呎(フィート)幅五呎中央高七呎ノ「ワーレン」式構桁ニシテ内徑十八吋(インチ)鋼鐵菅ヲ架セリ
1915-大正4年(1915年)ワーレン式構桁架橋-車橋仮設工事-1.jpg
1915-大正4年(1915年)ワーレン式構桁架橋-車橋仮設工事.jpg

翁橋
明治9年3月-石川町⇔松蔭町-架橋(黒土)
昭和2年12月24日-鋼構桁橋(西之橋古材使用)-移設
「平成元年(1989年)浦舟人道橋へ移設」
昭和62年7月 架け替え

亀の橋
明治6年架橋木橋
大正15年10月15日-鋼構構桁橋-架け替え
昭和62年9月-架け替え

橋名不明(石炭庫⇄石川一丁目)
不明(石炭庫⇄石川一丁目)この橋はいくつかの彩色絵葉書でのみ見られ、明治から大正の地図では確認できるが名前はわからなかった。
参照-横浜の堀(運河)と橋 08
https://62506968.at.webry.info/202001/article_15.html

「石川町駅前歩道橋」

下流-堀川

不明-明治9年4月-霞橋-元町土方谷架橋
土方橋と土方坂
普通は東橋のほうを土方橋と地図上に表すが、土方坂は西ノ橋の東側、今の横浜山手女子高等学校とフェリス女学院の間を下った場所を言う。
元町トンネル(本牧隧道のちの第二山手隧道)によって不明確に。
平成の霞橋(新山下橋と霞橋)
一つ目は昭和3年(1928年)上路式鉄筋コンクリート・アーチ橋-西区霞ヶ丘56~南区三春台90
二つ目は新山下橋の霞橋-平成25年(2013年)-下路式のプラット・トラス構造-明治29年(1896年)旧江ヶ崎跨線橋-日本鉄道土浦線隅田川橋梁


堀川 900m
万延元年(1860年)開削
明治4年(1871年)堀川浚渫・拡幅
現存 
中村川・分流派大岡川・下流堀川→西の橋→前田橋→谷戸橋→山下橋→東京湾

西ノ橋
文久元年(1861年)9月-西之橋架橋 木橋
明治4年(1871年)-堀川浚渫・拡幅-不明
明治26年(1893年)3月鉄橋ピン結合プラットトラス形式-掛け替え
大正15年(1926年)11月-板拱橋(2ヒンジ鋼アーチ橋)-架け替え
健在

前田橋
万延元年(1860年)-堀川開削-前田橋架橋 木橋
明治4年(1871年)-堀川浚渫・拡幅 木橋 
明治23年(1890年)3月架設 鉄橋
昭和2年(1927年)8月5日-肘木式鋼板桁橋-架け替え
昭和58年(1983年)8月 架け替え

谷戸橋
万延元年(1860年)-堀川開削-谷戸橋架橋 木橋
明治4年(1871年)-堀川浚渫・拡幅 木橋
明治20年(1887年)3月架設 鉄橋
昭和2年(1927年)7月9日-工拱桁橋-架け替え
健在

昭和59年(1984年)に完成したフランス橋は歩道橋

山下橋
大正12年(1923年)01月31日-横浜埋立会社が山手町の海面を埋立て新山下町と命名
大正12年(1923年)4月-最近調査番地入横浜新地図 訂正7版-初記載
昭和3年(1928年)4月27日-鋼構桁橋-修繕
昭和36年(1961年)11月架け替え 


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