横浜の遊郭と火事の歴史-18

2020年2月28日(金)
横浜遊郭 – 永楽町・真金町-7
最盛期から大震災・大空襲・赤線時代へ
長者町3丁目仮宅~永楽町・眞金町への移転始まる-明治15年5月(1882年)~明治21年(1888年)6月30日移転完了~永真遊郭-明治29年(1896年)6月~昭和33年3月(1958年)売春防止法施行猶予期間終了-遊郭閉鎖

横浜居留地と周辺の火災
明治15年(1882年)2月-真砂町出火、尾上町、港町合せて137戸焼失。
尾上町五丁目に移って足掛け10年の富貴楼は三丁目で火の手が止まって無事だった。

明治15年(1882年)12月22日-神奈川県庁庁内失火焼失。
1871-初代県庁-ファー・イースト1871年2月16日号
1871-初代県庁-ファー・イースト1871年2月16日号.jpg

1871-横浜弌覧之真景-橋本玉蘭齋-明治4年(1871年)-部分
1871-横浜弌覧之真景-橋本玉蘭齋-明治4年(1871年)-部分.jpg

1875-初代県庁-横浜町会所時計台-二代国鶴-明治8年(1875年)
1875-初代県庁-横浜町会所時計台-二代国鶴-明治8年(1875年).JPG

1867-横浜役所-慶応3年3月(1867年)竣工
1868-横浜裁判所-慶応4年(明治元年)3月19日(1868年4月11日)新政府軍に接収されて横浜裁判所となる。
1868-神奈川裁判所-慶応4年(明治元年)4月20日(1868年5月12日)には横浜裁判所が改称されて神奈川裁判所となり、その下に戸部裁判所(内務担当)、横浜裁判所(外務担当)が設置された。
1868-神奈川府-慶応4年(明治元年)6月17日(1868年8月5日)には神奈川府となる。
1868-神奈川県-慶応4年(明治元年)9月21日(1868年11月5日)に神奈川県に改称
二代目-税関の初代建物-明治6年(1873年)12月竣工を明治16年(1883年)8月に譲り受け移動。
三代目-大正2年(1913年)完成 大正12年(1923年)関東大震災にて焼失。

明治16年(1883年)11月19日-元町一丁目出火、焼失家屋445戸。

明治17年(1884年)11月4日-伊勢佐木町火災、清正公長者町、賑町-焼失家屋790戸。

明治19年(1886年)2月7日-居留地17番ファサーリ商会・18番・
19番インターナショナルホテル(ウィンザーハウス・Windsor House)全焼。
17-ファサーリ商会
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18番・19番インターナショナルホテル(ウィンザーハウス・Windsor House)
18番・19番インターナショナルホテル(ウィンザーハウス・Windsor House).jpg

横浜海岸通十八番異人旅宿之図-二代目歌川広重-1865年頃
1865-横浜海岸通十八番異人旅宿之図-二代広重.jpg

明治19年(1886年)9月20日-火災610戸焼失(横浜市の消防沿革・横浜開港五十年史ともに記載なし)

明治20年(1887年)2月07日 不老町1丁目より出火,80余戸を焼失。

明治21年(1888年)1月21日 石川町3丁目から出火、地蔵堂延焼約150戸焼失。

明治21年(1888年)1月31日-野毛町2丁目84番地出火、宮川町、花咲町一丁目延焼1120余戸焼失(黒土)。
花咲町を焼き払い、宮河町、野毛一丁目から三丁目、花咲町の東海岸までが焦土と化した、ほぼ同時刻、外国人居留地128番館からも出火。

明治22年(1889年)3月2日-扇町から出火し86戸焼失。

明治22年(1889年)3月-相生町から出火、1600戸焼失。

明治23年(1890年)3月-帷子町山下で出火265戸焼失

明治26年(1893年)6月-元町五丁目から出火、1664戸焼失。
石川町一丁目、元町三丁目、四丁目、五丁目全焼

明治27年(1894年)6月17日-元町から出火、1046戸焼失、半焼46戸。

明治27年(1894年)06月20日-地震,居留地の煉瓦造1棟倒壊,死者4名、重傷者7名、軽傷者15名

明治30年(1897年)12月08日-鶴見の東福寺が火災にかかり山門以外を焼失した,寛治元年(1087年)創設の寺。

明治32年(1899年)8月12日-雲井町一丁目から出火、関外の大半焼失。
被災戸数3173戸、内半焼49戸、他はすべて全焼。
14人死亡、主な焼失建物、警察署1、銀行2、郵便局1、学校3、寺院3、神社1、教会など25、寄席8、勧工場(マーケット)4、劇場5、見せ物小屋3。
蔦座(吉田町1丁目)焼失廃業・勇座(松ヶ枝町24番地)焼失
雲井町、久方町、足曳町、賑町、若竹町、柳町、各一丁目
吉田町、伊勢佐木町、羽衣町、姿見町、各一丁目・二丁目
福富町一丁目、二丁目、三丁目
蓬莱町一丁目、二丁目、三丁目、四丁目
長者町五丁目、六丁目、七丁目、八丁目
松ヶ枝町、若竹町、梅ヶ枝町、浪花町

明治33年(1900年)01月23日-賑町2丁目より出火,324戸を焼失。

明治33年(1900年)10月3日-羽衣座全焼、21戸焼失。

明治35年(1902年)05月12日-200余戸焼失,火事詳細不明。

明治39年(1906年)07月18日-根岸町相沢から発火,山元町に延焼し,590戸焼失。

明治40年(1907年)4月27日-相生座,出火。

明治43年(1910年)3月19日-野毛町3丁目から出火,花咲町・福富町まで延焼。

明治43年(1910年12月15日-長者町9丁目から出火,180戸焼失。

明治44年(1911年)3月6日-神奈川七軒町-神風閣焼失、焼死3名
神奈川神風楼の廃業後、明治39年(1906年)に料亭神風閣-療養病棟開業。

明治44年(1911年)3月31日-汽車の煤煙から出火,鶴見町の200余戸焼失

大正2年(1913年)3月07日-関内200余戸焼失の火事
(取引所、神栄会社焼ける)

大正6年(1917年)-磯子護念寺(丹海山清浄院,浄土宗)火災。

大正6年(1917年)2月22日-川和禅宗医王山瑞雲寺出火焼失

大正8年(1919年)4月-千歳町一丁目から出火3248戸焼失。
翁町、扇町、寿町が全焼、千歳町三丁目、山田町一、二丁目、長者町二、三丁目、松影町、不老町一、二丁目ほぼ全焼。

大正11年(1922年)1月31日-真金町火災200余戸焼失、貸座敷60軒余焼失。

大正12年(1923年)9月1日-関東大震災
倒壊、焼失10万0798戸、死者2万2355人、負傷者1万0208人。
消防施設被害、庁舎12軒中9軒、ポンプ車5台中3台、水管車3台中1台、オートバイ水管車2台中1台、蒸気ポンプ3台中1台、絡車80台中48台焼失。
1926-横浜市役所-横浜市震災誌-第二冊-13真金町-永楽町118-コマ67
1926-横浜市役所-横浜市震災誌-第二冊-13真金町-永楽118-コマ67.jpg

昭和4年(1929年)3月03日-鶴見潮田火災128戸焼失。

昭和4年(1929年)3月28日-中区本郷町火災、70戸焼失。

昭和20年(1945年)5月29日-横浜大空襲
り災戸数10万0091戸、死者4616人、負傷者14万2140人
(鶴見・中村町・神奈川消防署および市場・生麦・汐田・神奈川通・高島町・一本松・浅間町・地蔵坂出張所焼失)
横浜市死者-実数8千~1万人ともいわれる。


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