横浜の堀(運河)と橋 17

2020年2月7日(金)
大岡川 全長1万4040m
不明
現存
源流-笹下川→(合流-日野川)→大岡川

工拱桁橋=I アーチ桁橋
工形鋼桁橋=I 形鋼桁橋
混凝土=コンクリート
拱橋=アーチ橋

大岡川(元入江部分)全14橋
山王橋→山王橋(人道橋)→一本橋→道慶橋→白金(人道橋)→栄橋→太田橋→末吉橋→黄金橋→旭橋(人道橋)→旭橋→長者橋→宮川橋→都橋・(合流-派大岡川・分流-桜川)以下野毛浦埋立域→横浜湾

地図と橋の変遷-上流(南)から
橋の数と名前の変遷-地図上のみ・全14橋

2橋記載-記入なし(不明)→野毛橋
1860-東海道名所之内横浜風景-五雲亭貞秀-万延元年(1860年)

5橋記載-記入なし(道慶橋)→サカエハシ→小金ハシ→長者ハシ→都バシ
1877-改正横浜明細地図 新訂-尾崎富五郎-明治10年(1877年)9月

5橋記載-末吉バシ→黄金バシKOCANIHASHI(ママ)→長者バシCHIOODSIYAHASHI(ママ) →IHSAHKAYIM(逆書き・ママ・ミヤコハシのことか?)宮川バシ→都バシ
1888-絵入名所改正横浜新図-杉浦留吉-明治21年(1888年)

8橋記載-記入なし(道慶橋)→記入なし(栄橋)→末吉ハシ→黄金ハシ→旭ハシ→長者ハシ→宮川ハシ→都ハシ
1890-改良横浜全図-尾崎冨五郎-明治23年(1890年)

6橋記載-末吉バシ→小金バシ→旭バシ→長者バシ→宮川バシ→都バシ
1891-横浜真景一覧図絵-尾崎富五郎-明治24年(1891年)

8橋記載-記入なし(道慶橋)→栄橋→末吉橋→黄金橋→朝日橋→長者橋→宮川橋→都橋
1905-横濱明細新圖-鈴木金輔-明治38年(1905年)

10橋記載-山王橋→記入なし(一本橋)→道慶橋→栄橋→末吉橋→黄金橋→旭橋→長者橋→宮川橋→都橋
1920-訂正九版横浜市全図(有隣堂)大正9年(1920年)

11橋記載-山王橋→本橋(一本橋)→道慶橋→栄橋→太田橋→末吉橋→黄金橋→旭橋→長者橋→宮川橋→都橋
1929-復興完成番地入 大横浜市交通地図-田中孫六-昭和4年(1929年)


大岡川(元入江部分)全14橋
山王橋→山王橋(人道橋)→一本橋→道慶橋→白金(人道橋)→栄橋→太田橋→末吉橋→黄金橋→旭橋(人道橋)→旭橋→長者橋→宮川橋→都橋・(合流-派大岡川・分流-桜川)以下野毛浦埋立域→横浜湾

山王橋
昭和2年(1927年)6月-肘木式板桁橋-架け替え 

山王橋(人道橋)

一本橋
昭和3年(1928年)10月-工型鋼桁橋-架け替え

道慶橋
万治元年(1658年)架橋-明暦元年(1655年)相模国久良岐郡太田村字前里耕地渡川口に雲水僧道慶師立ち寄り独力にて橋を架ける(普門院蔵古記)由来碑より。
昭和2年(1927年)8月肘木式板桁橋- -架け替え(ゲルバー式) 

白金(人道橋)

栄橋
明治6年(1873年)7月野毛橋をここへ移して架橋。
昭和4年(1829年)1月-工桁橋-架け替え
平成元年3月(I方桁橋)架橋

太田橋
国施工での新設
昭和3年(1928年)1月-肘木式鋼板桁橋-架橋
震災復興橋(ゲルバー式プレートガーダー) 

末吉橋
昭和4年(1929年)4月-コンクリート拱橋-架け替え
平成19年(2007年)3月架橋(鉄筋コンクリートアーチ橋) 

黄金橋
昭和3年(1928年)4月-肘木式鋼板桁橋-架け替え

旭橋(人道橋)
昭和46年(1971年)3月架橋

旭橋(朝日橋)
昭和2年(1927年)9月-肘木式鋼板桁橋-架け替え

長者橋
嘉永4年の資料では単に「土ハシ」
明治5年(1872年)横浜案内絵図で初めて長者橋の名前が入る。
明治6年(1873年)1月25日に神奈川県令大江卓から大隈重信に宛てた文書の中では「権兵衛橋」
明治6年(1873年)11月仮橋から木橋へ
明治7年(1874年)5月に新たな木製の橋が完成
昭和2年(1927年)4月-コンクリート拱橋-架け替え

宮川橋
昭和4年(1929年)1月 -肘木式板桁橋-架け替え

長崎大学-横浜市街(3)
指路協会-明治25年(1892年)献堂-尾上町6丁目82番地(横浜市中区尾上町6-85)
http://oldphoto.lb.nagasaki-u.ac.jp/jp/target.php

長崎大学-横濱市街地(3)
野毛三山社からの眺望である。画面中央を大岡川が右から左上方へ流れている。右寄りに木橋の長者橋、左手に同じく木橋の宮川橋が見えている。右手遠方は山手、その手前の緑地は横浜公園、横浜共同電灯会社常盤町発電所の煙突を挟んで左手が官庁群である。税関の擬宝珠(ぎぼし)状ドームがひときわ目立っている。その左手前には指路教会の尖塔が見えている。明治31年(1898)建設の横浜商業学校校舎が写っているので、30年代の撮影と思われる。写真ではよく分からないが、横浜公園の右端と指路教会の向こうを結ぶ線に沿って、派大岡川と呼ばれる中村川の下流が流れており、その海側を関内、内陸側を関外と呼ぶ。現在、河床に当たる場所に首都高速道路横浜羽田線が、川の上に当たる場所にJR根岸線が通っている。

横浜市全景-宮川橋
横浜市全景-宮川橋.jpg

宮川橋-指路教会
宮川橋-指路教会.jpg
尾上町-指路教会.jpg

都橋
野毛橋時代
安政6年(1859年)架橋。
明治元年(慶応4年)1868年5月8日流失、再建。
都橋
明治5年(1872年)野毛橋三間下流へ再架橋、都橋に改名
昭和2年(1927年)7月-肘木式鋼板桁橋-架け替え

参照-横浜の堀(運河)と橋 01
https://62506968.at.webry.info/202001/article_8.html


下流-野毛浦埋め立て

桜橋(桜木橋)
明治5年(1872年)9月 桜橋(サクラギバシ)木橋
明治19年(1888年)廃橋
二代目桜川橋(大岡川)昭和52年(1977年)
1871-横浜弌覧之真景明治4年(1871年)

大江橋
明治3年(1870年)4月(ウイキペディア) 
明治5年(1872年)5月(横浜沿革誌-国会図書館コマ番号118)
明治三年五月・仝月大江橋橋臺及柱石建設工事ニ着手ス
工事請負人内田清七
明治五年五月竣工シ大江橋ノ名称ヲ付ス
二代大江橋-鉄橋-明治35年(1902年)12月架設
昭和2年(1927年)7月11日-鋼桁橋-修繕
前出-横浜の堀(運河)と橋 06
https://62506968.at.webry.info/202001/article_13.html

住吉橋(人道橋)

辯天橋-弁天橋
明治4年(1871年)-架橋 木橋
鉄道寮永代橋のちに弁天橋と改称
明治6年(1873年)木造アーチ橋
明治41年(1908年)9月にプレートガーダー橋
昭和3年(1928年)10月31日-肘木式鋼板桁橋-架け替え
昭和51年(1976年)-鋼鈑桁橋
全長-54.4m・幅-27m・最大支間長-22.7m
1870-改正新刻横浜案内絵図-明治3年(1870年)永代橋

入江橋(大岡川河口付近)
大江橋通、住吉町間に入江あり
1870-改正新刻横浜案内絵図-明治3年(1870年)

さくらみらい橋(人道橋)-令和2年度に供用開始-中区桜木町1丁目~中区本町6丁目

仮橋
洲干島横浜仏語伝習所先から野毛浦お役屋敷付近。
仮橋文久3年(1863年)架橋、慶応3年(1867年)に朽ち落ちる。
1866-御開港横浜之全図 増補再刻慶応2年(1866年)部分

大岡川橋梁-昭和3年(1928年)架橋

北仲橋-大岡川橋梁跡-平成14年(2002年)全面供用開始


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