横浜の遊郭と火事の歴史-21

2020年3月5日(木)
横浜遊郭 水天宮・弁天社・清正公堂・おさんの宮
参照
横浜市史稿(昭和7年)神社・教会編と横浜市史稿(昭和7年)風俗篇
昨今の浅草と比べ伊勢佐木町周辺には人を引き付ける魔力は感じられない。
吉原町遊郭が去り、殷賑を極めた賑町、そして伊勢佐木町の隆盛は関東大震災、太平洋戦争、アメリカ軍による接収と度重なる不幸に襲われた。
不死鳥のごとくよみがえった街も映画の不況、デパートの撤退と続き、中華街の盛んな有様に比べ、今は商店街に訪れるのは地元民がほとんどだ。
おさんの宮-日枝神社
日枝神社 お三の宮 昭和3年改築された本殿 神社編・教会編より.jpg

鎮座地:横浜市南区山王町五丁目三十二番地
http://www.osannomiya-hie.or.jp/gosaishin.html
社 名:日枝神社ひえじんじゃ
日枝神社は、古くは山王社・山王大権現・山王宮と称せられましたが、今では「お三の宮」「お三さま」と広く親しまれ、崇め称えられています。
これは、山王宮→山の宮→おさんの宮と転訛したこと、更には《お三の人柱伝説》を付会して「お三の宮」と書かれ呼ばれるに至りました。

清正公堂-長者町8丁目83番地(常清寺)
清正公堂.jpg

現公堂-長者町9丁目163番地
南区清水ケ丘にある栄玉山常清寺は戦前、長者町にあり、その境内に清正公堂がありました。
戦災で寺が焼失、現在の清水ヶ丘に移転しました。戦災を免れた清正公堂の周辺は盛り場として栄えましたが、お堂の維持管理が困難になり、1978年には常清寺の側へ、現在は「清正公街飲食街」という名前を残すのみとなっていました。
今は立体駐車場わきに小さなお堂があります。

長者町仮宅と水天宮
明治14年1月に、吉田新田一つ目での仮宅営業を願い出て許可。
造成ずみの長者町3丁目へ明治14年4月に移転開始。

水天宮-長者町1丁目4番地-史稿より
明治初年河野與七再興、大正大震災にて焼失再興。
祭神-安徳天皇
境内神社
稲荷神社-天保2年2月伏見稲荷より分霊。
合殿に大鷲神社合祀-神社明細帳未載
社掌-河野通正

由来記-安産の神様-杉山神社ホームページ
御祭神
天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
安徳天皇(あんとくてんのう)
建礼門院(けんれいもんいん)
二位の尼(にいのあま)
この横浜が吉田新田開発のころ、度々水害に悩まされたため、貞亨年間に筑後国久留米(現、福岡県久留米市)より現在の横浜長者町あたりに水天宮の御分霊を勧請奉斎し、水害の守護神として尊崇されていました。
その後明治の初めごろ、河野与七がこの地を開拓するさいに旧体を発見し、社殿を建立して再興、安産・子育ての守護神として広く関東一円より人々の信仰を集めてきました。
昭和20年5月29日第2次世界大戦の戦火で、社殿・社務所・末社等が全焼し、米進駐軍により境内も接収されてしまったため、南区西仲町の河野与七の子孫の屋敷に、仮社殿を建築し奉斎されていました。
 平成10年、土地の氏神「旧太田村総鎮守杉山神社」に合祀され、水天宮として新たに奉斎される事となりました。
杉山神社-神奈川県横浜市南区南太田町2ー187
杉山神社-御祭神
日本武尊 ( やまとたけるのみこと )
天照皇大神 ( あまてらすすめおおみかみ )
大物主神 ( おおものぬしのかみ )
崇徳天皇 ( すとくてんのう )
豊受比売神 ( とようけひめのかみ )
菅原道真 ( すがわらみちざね )
大山咋神 ( おおやまくいのかみ )
木花咲耶姫命 ( このはなさくやひめのみこと )
天照皇大神 ( あまてらすすめおおみかみ )
稲倉魂命 ( うかのみたまのみこと )
宇気母智命 ( うけもちのみこと )


厳島神社・横浜弁天社 
洲干弁財天-弁天から想像する女性像とは違うお姿だ。
洲干弁財天.jpg

サラスヴァティー-Saraswati-川の女神
のちに智慧の女神ヴァーチと一体化し、学問・弁舌・芸術・音楽を司る。日本では弁財天・市杵島姫命とされている
サラスヴァティー-Saraswati.jpg

ラクシュミー-幸運・豊穣・美を司る女神
吉祥天-七福神の一人だが今はその座を弁財天に譲り渡していることが多い。
七面大明神・七面天女
七面天女の本地は、吉祥天と弁才天《安芸の宮島の厳島弁財天》と言われてきた(身延経)、という過程を経て弁財天と吉祥天は日本で同一化して吸収されていった(誤解も長引けば事実に化ける)。
ラクシュミー-Lakshmi.jpg

横浜教育水族館-羽衣町1丁目12番地
明治39年(1906年)~明治41年(1908年)
弁天社(厳島神社・横浜弁天)と水族館.JPG

横浜弁天社
厳島神社-神社編・教会編より.jpg

羽衣町-横浜弁天社
吉原町遊郭移転してきた後の明治2年(1869年)隣の羽衣町に洲干弁天社が遷座し厳島神社(横浜弁天社)と名が改められた、もとは一万二千坪とも言われた境内を誇っていたが、遷座当時元の一割にも満たない社地も令和の今はさらにその半分程度だ。
明治の廃仏毀釈で弁財天から市杵島姫尊、多紀理姫尊、多岐都姫尊(三女神・神社庁ママ)へと主祭神が替わった。
明治3年・大正5年・大正15年と再度の災害に会いながら再建されてきました。
戦後の再建-昭和30年(1955年)羽衣町接収解除、昭和32年(1957年)社殿再建。

厳島神社・横浜弁天社
神奈川県横浜市中区羽衣町2ー7ー1
御祭神-神社庁
市杵島姫尊 ( いちきしまひめのみこと )
多紀理姫尊 ( たきりひめのみこと )
多岐都姫尊 ( たぎつひめのみこと )
境内社
銭洗弁天社、豊受稲荷神社(三社稲荷)
由緒
横濱厳島神社は、源頼朝が伊豆国土肥(現・静岡県伊豆市)から勧進して治承年間(1177-1181)に創建、横濱村の鎮守社だったといいます。慶安2年(1649)には幕府より社領6石1斗の御朱印状を拝領、洲乾の出洲に鎮座していたことから、洲干弁天・清水弁天・横浜弁天とも称されていたといいます。明治2年(1869)当地へ移転したといいます。

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