横浜の遊郭と火事の歴史-22

2020年3月8日(日)
神奈川遊郭・反町遊郭
1872-鉄道開通-神奈川駅営業開始-明治5年6月5日(1872年7月10日)
1904-横浜電気鉄道(市電-廃止)-青木橋(神奈川)~大江橋(横浜)間営業開始-明治37年(1904年)7月15日
1905-京浜電気鉄道(現京急)川崎駅~神奈川停車場前駅(現京急-神奈川駅からJR横浜駅寄り150m付近)間営業開始-明治38年(1905年)12月24日
1908-東神奈川駅(現JR横浜線)-横浜鉄道は明治41年(1908年)9月23日神奈川駅北東(川崎寄り)約1000mに東神奈川駅開業(東神奈川駅~八王子駅間)
現在も横浜線は東神奈川~八王子駅間、根岸線との乗り入れで横浜駅方面へ接続している。
1928-三代目横浜駅開業に伴い神奈川駅(国鉄)廃止-昭和3年(1928年)10月15日
1930-東神奈川駅廃止・青木橋駅開業-昭和5年(1930年)3月29日-8日後京浜神奈川駅と改名。
1956-京浜神奈川駅を神奈川駅に改名-昭和31年(1956年)

1908-神奈川鉄道橋-青木橋-神奈川停車場前駅
1908-神奈川鉄道橋-青木橋-神奈川停車場前駅.jpg

1919-大正調査番地入横浜市全図訂正7版-松信大助-大正8年(1919年)-七軒町・反町遊郭
1919-大正調査番地入横浜市全図訂正7版-松信大助-大正8年(1919年)-反町遊郭.jpg

神奈川県統計書を引用

神奈川遊郭
慶長年間に許し書きが出てそれは萬治2年の禁止令まで続いた。
享保3年10月解禁、文化11年12月7日一戸2人と沙汰が出たが、年月とともにゆるみ天保には60軒以上になった。
宿場としての飯盛り旅籠-安政年間41軒が散在したが、横浜開港で港崎へ移籍するものが多く出た。
記録では神奈川宿の飯盛りは安政6年7月1日に禁止され、文久3年その禁止が解かれた。
神奈川宿
http://www5f.biglobe.ne.jp/~kazuya22ai/suihuyou/kanagawa.html

明治17年(1884年)-仲之町・九番町・十番町・宮洲町に範囲を決められる。
明治22年(1889年)-七軒町・宮洲町に範囲を限定。
引手茶屋-宮戸川・山口・田中屋・蔦屋・橋本
碧海橋西側-佐伯楼・丸二楼
碧海橋東詰海岸側-神風楼
碧海橋東-上総楼・中川楼・松吉楼・島崎楼・旭楼・昇栄楼・藤吉楼・品川屋・石川屋・伯島楼
宮洲橋-新上総屋・蓬莱楼・金倉楼・駿河屋・佐野屋・金浦楼

長崎大学
神風楼全景
http://oldphoto.lb.nagasaki-u.ac.jp/zoom/jp/record.php?id=1844
外人専用の洋館
神奈川七軒町-神風楼洋館.jpg

明治15年(1882年)-貸座敷48軒、娼妓199人
明治16年(1883年)-貸座敷35軒、娼妓244人
明治17年(1884年)-貸座敷46軒、娼妓180人
明治18年(1885年)-貸座敷42軒、娼妓288人
明治19年(1886年)-貸座敷42軒、娼妓298人
明治20年(1887年)-貸座敷47軒、娼妓296人
明治21年(1888年)-貸座敷48軒、娼妓315人
明治22年(1889年)-貸座敷47軒、娼妓332人
明治23年(1890年)-貸座敷43軒、娼妓340人
明治24年(1891年)-貸座敷36軒、娼妓270人
明治25年(1892年)-貸座敷29軒、娼妓252人
明治26年(1893年)-貸座敷26軒、娼妓268人
明治27年(1894年)-貸座敷26軒、娼妓265人
明治28年(1895年)-貸座敷27軒、娼妓265人
明治29年(1896年)-貸座敷28軒、娼妓264人
明治30年(1897年)-貸座敷28軒、娼妓287人
明治31年(1898年)-貸座敷28軒、娼妓306人
明治32年(1899年)-貸座敷27軒、娼妓271人
明治33年(1899年)-貸座敷27軒、娼妓201人

明治33年(1900年)反町遊郭(青木町遊郭)へ移設
統計上神奈川
明治34年(1893年)-貸座敷7軒、娼妓168人

明治44年(1911年)3月6日-元神奈川遊郭ナンバー9、神風閣焼失、焼死3名、日本建家屋1200坪、洋館400坪。
神風楼ナンバー9-NECTARINE No9は明治33年永真遊郭へ移る。

反町遊郭(青木町遊郭)
神奈川県統計書を引用
明治33年(1900年)5月移転
統計上34年は神奈川
明治35年(1802年)-貸座敷23軒、娼妓128人
明治36年(1903年)-貸座敷16軒、娼妓138人
明治37年(1904年)-貸座敷16軒、娼妓134人
明治38年(1905年)-貸座敷17軒、娼妓151人
明治39年(1906年)-貸座敷17軒、娼妓159人
明治40年(1907年)-貸座敷17軒、娼妓161人
明治41年(1908年)-貸座敷18軒、娼妓160人
明治42年(1909年)-貸座敷18軒、娼妓169人
明治43年(1910年)-貸座敷軒、娼妓人
明治44年(1911年)貸座敷20軒、娼妓201人

大正元年(1912年)貸座敷21軒、娼妓202人
大正2年(1913年)貸座敷20軒、娼妓187人
大正3年(1914年)貸座敷20軒、娼妓207人
大正4年(1915年)貸座敷20軒、娼妓218人
大正5年(1916年)貸座敷20軒、娼妓182人
大正6年(1917年)貸座敷20軒、娼妓182人
大正7年(1918年)貸座敷21軒、娼妓209人
大正8年(1919年)貸座敷22軒、娼妓177人
大正9年(1920年)貸座敷22軒、娼妓192人
大正10年(1921年)貸座敷22軒、娼妓191人
大正11年(1922年)貸座敷軒、娼妓人
大正12年(1923年)貸座敷23軒、娼妓191人
大震災被害僅少。
大正13年(1924年)貸座敷23軒、娼妓212人
大正14年(1925年)貸座敷22軒、娼妓190人

昭和元年(1926年)貸座敷22軒、娼妓141人
昭和2年(1927年)貸座敷22軒、娼妓126人

神奈川県統計表 県内
昭和2年-貸座敷192軒、娼妓1473人
昭和3年-貸座敷190軒、娼妓1386人
昭和4年-貸座敷187軒、娼妓1370人
昭和5年-貸座敷184軒、娼妓1351人
昭和6年-貸座敷184軒、娼妓1384人

昭和3年(1928年)貸座敷軒、娼妓人
昭和4年(1929年)貸座敷軒、娼妓人

昭和5年(1930年)貸座敷23軒、娼妓170人
(全国遊郭案内昭和5年発行・国会図書館)

およそ21軒の貸座敷の楼名が確認できる。
七軒町からの見世は下記の通り。
上総楼・松吉楼・島崎楼・昇栄楼・藤吉楼・伯島楼・金浦楼(第一・第二)
朝日⇔旭楼 関係不明

昭和6年(1931年)貸座敷15軒、娼妓95人
昭和7年(1932年)貸座敷15軒、娼妓95人
昭和8年(1933年)貸座敷軒、娼妓人 未見
昭和9年(1934年)貸座敷13軒、娼妓87人
昭和10年(1935年)貸座敷12軒、娼妓98人
昭和11年(1936年)貸座敷12軒、娼妓99人
昭和12年(1937年)貸座敷12軒、娼妓89人
昭和13年(1938年)貸座敷12軒、娼妓99人
昭和14年(1939年)貸座敷12軒、娼妓97人
昭和15年(1940年)貸座敷12軒、娼妓90人

この年から各種団体(勤労動員労働者)宿舎に提供、資料未見
昭和16年(1941年)貸座敷軒、娼妓人
昭和17年(1942年)貸座敷軒、娼妓人
昭和18年(1943年)貸座敷軒、娼妓人
昭和19年(1944年)貸座敷軒、娼妓人
昭和20年(1945年)横浜空襲で焼失。

昭和24年(1949年)-元反町遊郭の周辺は日本貿易博覧会の第二会場(敷地2万8千坪)となる、第一会場は野毛山。
昭和34年(1959年)-昭和24年6月博覧会閉会後の昭和24年11月から横浜市役所市庁舎(六代目)としてパビリオンを活用、後に関内(七代目庁舎-中区港町11)へ移転。
昭和38年(1963年)-市庁舎跡地を反町公園として整備。
平成27年(2015年)-第二会場内芸能館(演芸館)は神奈川スケートリンクとして昭和26年(1951年)から営業していたが横浜銀行アイスアリーナにリニューアル。
2005-08-07-tanmati-アイ君撮影
2005-08-07-tanmati.jpg

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