Tokyo-17

Tokyo-17
中央区
20年11月17日(火)

中央区の寺社-6

兜町
明治4年(1871年)までに武家地を収公し兜町として起立。
明治6年(1873年)7月20日-第一国立銀行本店が開業。
明治11年(1878年)-東京証券取引所の前身である東京株式取引所が設立。
明治22年(1889年)5月1日-東京府東京市日本橋区兜町。
大正12年(1923年)9月1日-関東大震災、兜町壊滅。
昭和7年(1932年)-京橋区松屋町一・二丁目の一部を編入。
昭和8年(1933年)-三代町、坂本町を合併、兜町一~三丁目となる。
昭和18年(1943年)7月1日-東京都日本橋区兜町。
昭和22年(1947年)3月15日、東京都中央区日本橋兜町。
日本橋区と京橋区が合併、中央区発足。
旧日本橋区の町名は例外もあるが日本橋〇〇町となった。
昭和57年(1957年)1月1日-住居表示実施、丁目を廃止。


兜神社
中央区日本橋兜町1-12
旧住所表示-東京市日本橋区兜町
創建-明治11年(1878年)5月-東京株式取引所関係者一同の信仰の象徴および鎮守として兜神社を造営。
祭神-倉稲魂命
大正12年(1923年)9月1日-関東大震災、被災状況不詳。
昭和2年(1927年)5月-現在地へ遷座。
昭和20年(1945年)-東京大空襲、被災状況不詳。
昭和44年5月-高速道路の建設に伴い御影石造りの鳥居を残して旧社殿を解体。
昭和46年3月-鉄筋コンクリート一間社流造り・句拝付きの社殿を造営。


大原稲荷神社
中央区日本橋兜町11-3大原会館
旧住所表示-東京市日本橋区坂本町
創建-年代不詳。
文久2年(1862年)刊行の絵図には「天一位大原イナリ」として記載、場所は九鬼式部少輔(丹波国綾部藩)上屋敷の土手際。
京都府福知山市三和町大原鎮座の「大原神社」は綾部藩主九鬼侯の崇敬が篤かったと伝わる、大原神社は「天一位」という社号を持つ。
三和町大原神社祭神-伊邪那美命・天照大日霎命・月読命
九鬼氏家中が江戸へ勧請した可能性は大きい。
明治6年1月17日-日枝神社兼務社
祭神-記載文書なし。
参考goo地図-八町堀霊岸嶋日本橋南之・文久再編
https://map.goo.ne.jp/history/edo/map/6/


鳥居稲荷神社
中央区日本橋兜町20-2
享保2年(1717年)-鳥居丹波守忠瞭(下野壬生藩主)の上屋敷内に祀られていた。
享保6年(1721年)-大火で類焼、跡地が神田塗師町・新銀町・松下町の代地となる。
三ヶ町から移った人々は力を合わせ社殿を造営し鳥居神社として維持。
大正12年(1923年)9月1日-関東大震災、被災状況不詳。
昭和20年(1945年)3月10日-東京大空襲、社殿焼失。
昭和28年(1953年)8月-宗教法人登記。
昭和44年(1969年)3月-町内有志により鳥居稲荷神社崇敬会発足。
昭和52年(1977年)-社殿改築。

南茅場町
天正年間(1573年~1591年)の造成地、鎧島。
江戸城構築の際に神田橋等の茅商人が移転してきた云われる。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府南茅場町。
明治2年(1869年)-町奉行組屋敷、日枝旅所門前を合併。
明治6年(1873年)-北島町の一部を合併。
明治11年(1878年)11月2日-東京府日本橋区南茅場町。
明治22年(1879年)5月1日-東京府東京市日本橋区南茅場町。
昭和8年(1933年)-茅場町一・二丁目編入で消滅。
昭和18年(1943年)7月1日-東京都日本橋区茅場町。
昭和22年(1947年)3月15日、東京都中央区日本橋茅場町。
日本橋区と京橋区が合併、中央区発足。
旧日本橋区の町名は例外もあるが日本橋〇〇町となった。

純子稲荷神社
中央区日本橋茅場町3-13-6
旧住所表示-日本橋区亀島町二丁目(亀島河岸)
創建-元文2年(1737年)
江戸時代に町奉行所内に祀られていた千代田稲荷を勧請。
亀島町・岡崎町にあった組屋敷に住いしていた与力同心の鎮守。
“純心な精神を子々孫々に伝え遺すにふさわしく”との意をもって、純子稲荷神社と命名が行なわれた。
大正12年(1923年)9月1日-関東大震災、焼失。
昭和4年(1929年)-再建。
昭和8年(1933年)
日本橋区亀島町一丁目は日本橋区茅場町一・二丁目。
日本橋区亀島町二丁目は日本橋区茅場町二・三丁目に編入。
亀島町消滅。
昭和20年(1945年)3月10日-東京大空襲、焼失。
昭和48年(1973年)4月20日-京都・伏見稲荷大社より御分霊を拝領、再建・遷座式典挙行。
純子稲荷神社落慶と同時に、純子稲荷神社崇敬会社務所と茅場町二・三丁目町会会館も竣工。
祭神-宇迦之御魂大神・左田彦大神・大宮能売大神・田中大神・
四之大神
東京市日本橋区全図-明治28年7月(1895年)日本橋区部分純子稲荷-亀島河岸.jpg

参考Goo地図-八町堀霊岸嶋日本橋南之・文久再編
https://map.goo.ne.jp/history/edo/map/6/

越前堀
寛永11年(1634年)-越前福井藩主松平氏が蔵屋敷として拝領。 三方に巡らされた堀は俗に「越前堀」と称した。
明治5年(1872年)-越前堀一丁目・二丁目
明治11年(1878年)11月2日-東京府京橋区越前堀。
明治22年(1889年)5月1日-東京府東京市京橋区越前堀。
明治33年(1900年)-堀は埋め立てられ姿を消した。
昭和6年(1931年)-東湊町一丁目の一部、東湊町二丁目の全部、新舩松町の全部を併合して新しい越前堀一丁目を起立。
一・二丁目の西部を越前堀二丁目。
一・二丁目の東部と銀町一丁目の一部、銀町二丁目の全部を合併し越前堀三丁目に再編。
昭和18年(1943年)7月1日-東京都京橋区越前堀。
昭和22年(1947年)3月15日-東京都中央区越前堀。
日本橋区と京橋区が合併、中央区成立。
昭和46年(1971年)10月1日-住居表示実施。
越前堀一丁目・二丁目は新川二丁目・三丁目は新川一丁目。
越前堀一丁目・二丁目・三丁目は消滅した。

参考-Goo地図、6京橋駅・八丁堀駅周辺-日本橋南・文久再編
https://map.goo.ne.jp/history/edo/map/6/

霊岸島-コンニャク島-江戸中島
霊岸島は霊巌島
寛永元年(1624年)-八丁堀北東方の沼沢地を霊巌雄誉上人が拝領、霊巌寺を建立。
振袖火事・明暦の大火、明暦3年1月18日(1657年3 月2日)-霊巌寺は深川へ移り、町屋となる。
随時埋立事業が行われ、蒟蒻島と俗称される程地盤の緩い土地もあった。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府霊岸島町。
明治11年(1878年)11月2日-東京府京橋区霊岸島町。
明治22年(1889年)5月1日-東京府東京市京橋区霊岸島町。
昭和6年(1931年)-帝都復興計画により、町名から「町」が省かれる。
昭和18年(1943年)7月1日-東京都京橋区霊岸島。
昭和22年(1947年)3月15日-東京都中央区霊岸島。
日本橋区と京橋区が合併、中央区成立、
昭和46年10月1日-住居表示実施、中央区新川一・二丁目に編入となり霊岸島消滅。


大栄稲荷神社
中央区新川1-2-14
旧住所表示-日本橋区富島町六
創建-明和4年(1768年)霊岸島地先の埋立地完成に際し、霊岸橋際へ伏見稲荷の分霊を勧請。
祭神-記載文書なし。
深川稲荷神社の兼務社
地図では榮イナリ
参考Goo地図-八町堀霊岸嶋日本橋南之・文久再編
https://map.goo.ne.jp/history/edo/map/6/


渡海稲荷神社
中央区新川1-31-4
創建-宝永元年(1704年)表札はあるが社は見当たらない。
「東京都神社名鑑 上巻」句読点補足
関東大震災、帝都大空襲のため古文書焼失のため詳細を知ることができないが、埋立深川区の土地皆無時代は東南隅岬地にあたり燈台および舟着所なるがゆえに、渡海(トカイ)と名に負う稲荷神社が 宝永元年(1704年)に創祀されたと伝えられている。
昭和27年(1952年)8月-稲荷神社を渡海神社と改称、同時に社殿木造流造を建立し今日に至る。
深川稲荷神社の兼務社


徳船稲荷神社
中央区新川2-20
創建-年代不詳。
越前松平家下屋敷の屋敷神として祀られていた。
御神体は徳川家の遊船の舳を切って彫られたものと伝えられる。
振袖火事・明暦の大火-明暦3年1月18日(1657年3 月2日)~20日(1657年3 月4日)-御神体は被災を免れる。
大正11年(1922年)に至るまで土地の恵比須稲荷に安置された。
大正12年(1923年)9月1日-関東大震災、御神体は無事救出。
昭和6年(1931年)-隅田川畔(現中央大橋北詰辺り)に社を復活し町の守護神として鎮座。
昭和20年(1945年)-東京大空襲、全焼。
昭和29年(1954年)-同処に再建。
平成3年(1991年)-中央大橋架橋工事のため、新川に遷座。
祭神-記載文書なし。
徳船稲荷神社縁起
徳船稲荷神社縁起.jpg

於岩稲荷田宮神社
中央区新川2-25-11
旧住所表示-京橋区越前堀一丁目四番地(東京名所図会)
旧住所表示-京橋区越前堀二ノ八(中央区史)
明治3年(1871年)頃-四谷・「於岩稲荷田宮神社」と改称。
明治12年(1879年)-四谷・火事で社殿が焼失。
明治13年(1880年)-四谷左門町49番地より越前堀の現社地に初代市川左団次の勧めで遷座し「田宮神社」とした。
於岩稲荷田宮神社に戻した時期は不詳。
大正12年(1923年)9月1日-関東大震災、焼失。
昭和20年(1945年)-東京大空襲、焼失。
昭和21年(1946年)-仮殿復興。
昭和27年(1952年)-社殿再建。
昭和27年(1952年)-四谷の旧社地(現新宿区左門町17-11)にも飛地境内社として於岩稲荷田宮神社が再興された。
祭神-豊受比売大神・田宮於岩命
お岩様-寛永13年(1636年)2月22日没。
芝居と違い働き者のお岩様は商家に務めまでして家を盛り上げ、田宮家が復活したという話は評判となり、近隣の人々は田宮家の屋敷神を於岩稲荷と呼んで信仰したという。
享保2年(1717年)-田宮家は屋敷神の隣に稲荷祠を建立した。
参拝を求める人が増え屋敷を開放して参拝を許可し、於岩明神・大巌明神・四谷稲荷・左門町稲荷などと呼ばれて、信仰を集めた。
東海道四谷怪談-鶴屋南北作、
文政8年(1825年)江戸中村座において初演。
江戸の寛永時代から田宮家於岩様を祀る四谷左門町の「四谷於岩稲荷田宮神社」とともにお参りする芸能人が絶えない。
鳥居-本殿横白狐社前、石造の鳥居は明治30年(1897年)1月に造立。
お狐様-鳥居と社殿の間におられます。
左が子抱き、右が宝珠。
東京都指定旧跡-四谷・田宮稲荷跡
四谷-田宮稲荷跡.jpg

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