Tokyo-20

Tokyo-20
中央区
20年11月20日(金)

中央区の寺社-9

八丁堀
八丁堀といえば、町奉行与力・同心の住まいするところと名が響く。
八丁堀がつくのは本八丁堀・南八丁堀・八丁堀仲町。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府八丁堀。
明治11年(1878年)11月2日-東京府京橋区。
明治22年(1889年)5月1日-東京府東京市京橋区
現行町名
八丁堀仲町-八丁堀1丁目・2丁目 本八丁堀-八丁堀4丁目。
南八丁堀一丁目-(旧)新富町1・木挽町1丁目 南八丁堀一丁目-入船町1丁目・湊町1 丁目。
南八丁堀一丁目-入船町1丁目・湊町1丁目。

日比谷町(ひびやちょう)
明暦年間(1655年~1657年)-武家地。
元禄3年(1690年)-上地後幸橋門外の幸町と汐留「汐留新町(芝口新町)」や汐留三角屋敷等の俗称として「汐留」と呼ばれていた。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)-江戸府。
明治11年(1878年)11月2日-東京府京橋区。
明治22年(1889年)5月1日-東京府東京市京橋区。
昭和6年(1931年)-八丁堀三丁目に編入となり消滅。
現行の八丁堀三丁目26~28番。

今村幸稲荷神社
中央区八丁堀3-24-11
創建-年代不詳。
今村氏により幸町に奉斎。
明治6年1月17日-枝神社神職の兼務となる。 祭神-記載文書なし。
都会の稲荷らしくガレージの前に鳥居があり、ガレージわきから2階への階段。
上には覆い屋に守られた小さな社。


日比谷稲荷神社
中央区八丁堀3-28-15
旧住所表示-京橋区日比谷河岸二十二號地
創建-年代不詳。
八丁堀に鎮座し、旧地名をとり日比谷稲荷と称した。
この地から芝口へ遷座後(現港区東新橋鎮座)、崇敬者により八丁堀地先を埋め立て新社殿造営。
祭神-記載文書なし。
(豊受大神・祓戸四柱大神。稲倉魂神)
お狐様-左玉持ち・右子持ち
大正12年9月1日の大震災後の区劃整理で、日比谷町は、隣接の幸町、長沢町等と合併の上、八丁堀三丁目と呼ばれました。
大東亜戦争終戦後は、住居表示改正で、西八丁堀三丁目を合併した。
今日の八丁堀三丁目の一部となりました。
大正12年(1923年)9月1日-関東大震災、被災状況不詳。
昭和20年(1945年)-東京大空襲、被災状況不詳。
由緒
日比谷稲荷-八丁堀.jpg

鐵砲洲稲荷神社
中央区湊1-6-7
旧住所表示-京橋区本湊町30番地
創建-伝承和8年(841年)・承久年間(1219年~1221年)
寛永元年(1624年)頃-稲荷橋南東詰に遷座・八丁堀稲荷と称す。
明治元年(1868年)-鉄砲洲が外国人居留地となる。
明治2年(1869年)5月に当地に遷座。
明治6年(1873年)-郷社に列格。
祭神-稚産霊神・豊受比売神・宇迦之御魂神
境内社-八幡神社・琴平神社・住吉社・浅間社・三輪社・天満社
大正12年(1923年)9月1日-関東大震災、境内に被災。
昭和10年(1935年)-復興整備される。
狛犬
鳥居脇-昭和15年(1940年)・阿吽共に風化が進んでいる。 共に子持ちで、首を傾げ口はわずかに開いている。
参道-昭和11年5月15日(1936年)・阿吽共に脚立ち、彫りが鋭く力強い。


波除稲荷神社
中央区築地6-20-37
旧住所表示-京橋区小田原町三の三
創建-万治2年(1659年)築地埋め立ての際、海中に漂う稲荷神の像を拾い上げて守護神として祀ったと云う。
祭神-倉稲魂命
摂社-弁財天社
祭神-市杵島姫命
大正12年(1923年)9月1日-関東大震災、社殿焼失。
昭和12年(1937年)-社殿再建。
昭和20年(1945年)-東京大空襲、被災状況不詳。
波除稲荷
波除稲荷.jpg

新富稲荷神社
中央区新富町2-9-4
元は鉄砲州稲荷神社の分社で「赤丸稲荷」だったと言われている。
慶応4年(1868年)8月-元の本田隠岐守・井伊掃部頭の屋敷地だった場所に新しい遊郭の開設が許可され、「新島原」と命名された。
新吉原の中万字楼がこの地を借り上げ「新島原遊郭」を造った際に中万字楼という妓楼の前に「中万字稲荷」を祀った。
明治4年(1871年)7月-政府によって遊郭は取り壊しを命じられ、遊郭は新吉原・根津へ移転となった。
新島原青柳町一・二丁目→京橋区新富町六丁目→中央区新富二丁目
明治4年(1872年)9月-守田座を猿若町から新富町へ移転させ、新劇場を開場(後の京橋区新富町6丁目36・37番地)。
明治5年(1875年)1月-新守田座を新富座と改称。
明治9年(1876年)-「明治東京全図」-新富座
明治9年(1876年)-「明治東京全図」-新富座.jpg
稲荷は廃れていたが十二代目守田勘彌が再建、地図では確認できないが新富座の近くだったのだろう。
明治16年11月-稲荷が焼失したが、九代目市川団十郎と初代市川左団次の主唱で再築。
遊郭は移転したが震災前の新富町には料理屋約10軒、待合約40軒、置屋約80軒が軒を連ねていた。
新富座は関東大震災で被災し、その後は再建されずに松竹に吸収。
稲荷は現在「新富稲荷神社」として残っている。
手水舎と手水鉢に「坂東三津五郎」の名がありますが、守田座を移転した二代目守田勘彌の子が七代目坂東三津五郎だそうです。
稲荷神社を奉斎する歌舞伎役者は多い。
飯富稲荷(東京大神宮)は市川団十郎(九代)。
於岩稲荷田宮神社 は市川左団次(初代)。
豊岩稲荷神社は市村羽左衛門。
三光稲荷神社は關三十郎。
新富稲荷は坂東三津五郎。

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