Tokyo-22

Tokyo-22
中央区
20年11月22日(日)

中央区の寺社-11

松島町(まつしまちょう)
元禄11年(1698年)-町奉行川口摂津守、松平伊豆守両組の組屋敷となり中組。
正徳3年(1713年)-松島町の名前が起こる。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)-江戸府松島町。
明治11年(1878年)11月2日-東京府日本橋区松島町。
明治22年(1889年)5月1日-東京府東京市日本橋区松島町。
昭和8年(1933年)-蛎殻町四丁目、人形町一丁目に編入。
松島町消滅
国会図書館〔江戸切絵図〕-嘉永3年(1850年)版 日本橋北神田浜町絵図-部分
国会図書館〔江戸切絵図〕-嘉永3年(1850年)版 日本橋北神田浜町絵図-松島町.jpg
それまで人形町は通りの名で大坂町、島町、住吉町、和泉町、堺町、芳町が「人形町」という町名に変更。
蛎殻町は一部が小網町二・三丁目、人形町一・二丁目、浪花町、芳町に編入され、逆に松島町の一部を加えて一~四丁目を起立した。
昭和18年(1943年)7月1日-東京都発足、東京都日本橋区。
昭和22年(1947年)-日本橋区と京橋区が合併して中央区が成立。
旧日本橋区の町名は例外もあるが日本橋〇〇町となった。
昭和51年(1976年)1月1日-住居表示により日本橋蛎殻町四丁目の一部(新大橋通りの北側部分)は日本橋人形町二丁目に編入。
蛎殻町は日本橋蛎殻町一丁目と日本橋蛎殻町二丁目が残る。
人形町は日本橋人形町一丁目・二丁目・三丁目となった。


松島神社-日本橋七福神
中央区日本橋人形町2-15-2松島ビル
旧住所表示-日本橋蛎殻町四の一
旧住所表示-松島町四十七番地
別称-大鳥神社
創建-年代不詳。
天正13年(1585年)-に島内が松樹鬱蒼としていたことから松島稲荷大明神と称された。
正徳3年(1713年)-当地付近が松島町と名付けられた。 町の中心の松島稲荷に各々が出身地の氏神の合祀を依頼した。 明治7年(1874年)-松島稲荷神社として村社に列格。
松島町46番地
祭神
稲荷大神・伊邪那岐大神・伊邪那美大神・日前大神(天照大神)・北野大神(菅原道真公)・手置帆負神・彦狭知神・淡島大神・八幡大神・猿田彦神・琴平大神・天日鷲神(大鳥大神)・大宮能売神(おかめさま)・大国主神(だいこくさま)
境内社-銀杏稲荷神社
大正5年(1916年)6月10日-松島神社と改称。
大正12年(1923年)9月1日-関東大震災、焼失。
大正13年(1924年)-松島町47番地に社殿竣工。
昭和8年(1933年)2月1日-蛎殻町4丁目に改称。
昭和20年(1945年)3月-東京大空襲、戦禍に罹災。
本殿・祖霊殿・社務所・祭器庫等の復興
昭和21年(1946年)-
日本橋七福神の大国様
天日鷲神(大鳥大神)が祀られ11月に酉の市が開催。

日本橋七福神は八社(人形町商店協同組合)
1-「福禄寿」と「弁財天」・小網神社
2-「布袋尊」・茶の木神社
3-「弁財天」・水天宮
4-「大国神」・松島神社(大鳥神社)
5-「毘沙門天」・末廣神社
6-「寿老神」・笠間稲荷神社
7-「恵比寿神」・椙森神社
8-「恵比寿神」・寳田恵比寿神社
日本橋七福神めぐり公式サイトでは内容が違う。
寳田恵比寿神社は現在入っていない。
「福禄寿」-小網神社
「布袋尊」-茶ノ木神社
「弁財天」-宝生弁財天・水天宮境内
「大国神」-松島神社
「毘沙門天」-末廣神社
「寿郎神」-笠間稲荷神社
「恵比寿神」-椙森神社


末廣神社-日本橋七福神
中央区日本橋人形町2-25-20
旧住所表示-日本橋区日本橋浪花町六ノ一〇
江戸時代の初期に吉原(葭原八力町)の地主神、産土神。
祭神-宇賀之美多摩命
昭和2年(1927年)正月-浪花町三番から浪花町六番一〇へ移転。 昭和20年(1945年)3月10日-東京大空襲、社殿・社務所、焼失。 戦後再建。
狛犬-昭和21年(1946年)10月建立・阿吽共に脚立ち、尾立ち。 日本橋七福神の毘沙門天。
兼務社「茶ノ木神社」の「日本橋七福神・布袋尊」の御朱印(別紙のみ)も頂けると云う。
末廣神社沿革
末廣神社.jpg

日本橋小網町
東堀留川の西側は堀江町一~四丁目。
東堀留川の東側河岸地を「西万河岸」と称した。
東掘留川の西側和国橋(堺橋・萬橋)から南を「東万河岸」。
堀江町の名物は団扇問屋。
荒布橋から親父橋に至る通りが通称照降町(てりふりちょう)下駄と傘を扱う店が集中していた。
寛永年間(1624年~1644年)-番匠町(はんぢゃう)と称し、以前には入江ヶ岡、後に小網稲荷に因んで「小網町」と改めたと云う。
日本橋川東側が小網町一丁目の「末広河岸」。
二丁目の思案橋側を「貝杓子店」(かいじゃくしだな)、日本橋川に沿って「鎧河岸」、鐙の渡しは八丁堀へわたる船着き場。
三丁目の箱崎川に「行徳河岸」。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)-江戸府。
明治5年(1872年)、陸奥平藩安藤家下屋敷等の武家地に四丁目。
小網町二、三丁目の東には「稲荷堀」(とうかんぼり)もしくは
十日堀」(とうかぼり)。
小網町には日用必需品や食品を扱う問屋が軒を並べていました。
明治11年(1878年)11月2日-東京府日本橋区小網町。
明治22年(1889年)5月1日-東京府東京市日本橋区小網町。
昭和8年(1933年)-小網町一~三丁目に再編成。
同年、蛎殻町一丁目、堀江町四丁目、新葭町の一部を編入。
昭和18年(1943年)7月1日-東京都日本橋区小網町。
昭和22年(1947年)3月15日-東京都中央区日本橋小網町。
日本橋区と京橋区が合併、中央区誕生。
旧日本橋区の町名は例外もあるが日本橋〇〇町となった。
昭和51年(1976年)-住居表示実施-二丁目の一部が現行の日本橋人形町一丁目に編入・残部は現行の日本橋小網町となる。
国会図書館〔江戸切絵図〕-嘉永3年(1850年)版 日本橋北神田浜町絵図-部分
国会図書館〔江戸切絵図〕-嘉永3年(1850年)版 日本橋北神田浜町絵図-小網町.jpg

小網神社
中央区日本橋小網町16-23
旧住所表示-東京市日本橋区小網町二丁目東万河岸二号
創建-年代不詳。
文正元年(1466年)-恵心僧都が小網稲荷大神を勧請。
太田道灌公が小網山稲荷院萬福寿寺と命名。
祭神-倉稲魂命・市杵島姫命(弁財天)・福禄寿他
慶長年間(1596年~1615年)-周辺地域が小網町と名づけられ、当神社を氏神と崇めました。
神仏分離令-社寺は分離。
明治2年(1869年)-萬福寿寺廃絶、弁財天(市杵島比賣神)が神社へ遷座、萬福舟乗弁財天という。
明治6年(1873年)7月5日-小網稲荷神社として村社に指定。
大正12年(1923年)9月1日-関東大震災、倒壊。
昭和4年(1929年)-現社殿・神楽殿造営。
昭和20年(1945年)-東京大空襲、戦禍を免れる。
大正期の明治神宮造営の工匠長・内藤駒三郎宮大工一門によって造営。
戦後の宗教法人化に伴い、名称は「小網神社」となる。
日本橋七福神の福禄寿・弁財天としても崇敬を集めている他、下町八社巡りの一社。


明星稲荷神社(めいせいいなり)
中央区日本橋小網町4-9
太田持資公(道潅)築城の江戸城内大内山に鎮座。
徳川氏江戸入府後に地頭職に在った小網町浜口家に明星稲荷として鎮座、浜口家所有地小網町4丁目に社殿健立。
祭神-倉稲魂命
大正12年(1923年)9月1日-関東大震災、被災状況不詳。
大正12年(1923年)の大震災後区画整理により小網町3丁目に仮殿を建立。
昭和8年(1933年)-社殿復興。
昭和20年(1945年)-東京大空襲、戦災で焼失。
昭和43年(1968年)-社殿復興の計画起こる。
社殿復興、社号石柱には明治百年記念・昭和43年吉日。
「失せ物探しのお稲荷さん」として親しまれている。
平成25年(2013年)4月-社殿新築。
路地入り口の石鳥居は紀元弐千六百-昭和15年(1940年)に建立、社と小網町町会会館の建て替えまでは旧小網町町会会館と社の前の赤鳥居の場所にあった。

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