Tokyo-24

Tokyo-24
中央区
20年11月24日(火)

中央区の寺社-13

水天宮-日本橋七福神
中央区日本橋蛎殻町2-4-1
創建-文政元年(1818年)久留米藩主有馬頼徳公が芝赤羽根橋上屋敷内に久留米市水天宮の御分霊を勧請。
藩邸の移動に伴い、青山へ遷座。
明治5年(1872年)11月1日-蛎殻町に遷座。
祭神-天御中主大神・安徳天皇・建礼門院・二位ノ尼
境内社-紫灘神社・弁財天・秋葉神社・火風神社・高尾神社
日本橋七福神の弁財天、下町八社巡りの一社。
国立国会図書館所蔵写真帳・明治44年(1911年)
水天宮-東京風景-小川一真出版部
水天宮-明治44年.jpg
大正12年(1923年)9月1日-関東大震災、焼失。
御神体は避難。
昭和5年(1930年)-流れ造りの社殿完成。
昭和20年(1945年)-東京大空襲、被災状況不詳。
社殿焼失と書いてある記事を見つけたが、人形町・蛎殻町は焼け残ったはずで、米軍の写真でも町は残っているしホームページもふれていない。
狛犬-ブリヂストン石橋正二郎氏奉納・津田永壽謹作昭和四十二年五月吉日(1967年)
阿像玉持ち・吽像子持ち
子宝犬-母子の犬像の周りには十二支の文字盤。
昭和42年(1967年)-社地嵩上げ、権現造りの社殿完成。
江戸鎮座200年記念事業として社殿の建て替えを行った。
平成25年(2013年)3月1日~平成28年(2016年)4月7日までの間は、日本橋浜町の明治座そばに仮宮を設けた。
平成28年(2016年)4月8日-白木造新社殿への参拝者の受け入れを開始。


銀杏八幡宮
中央区日本橋蛎殻町1-7-7
旧住所表示-東京市日本橋区蛎殻町。
創建-年代不詳。
安永4年(1775年)-福井藩常盤橋松平氏の邸内鎮守。
祭神-誉田別尊
大正12年(1923年)9月1日-関東大震災、社殿焼失。
社号の由来の銀杏は震災に焼けて枯死してしまった。
昭和20年(1945年)-東京大空襲、被災状況不詳。
鳥居前に左右に社号標・左銀杏稲荷・右銀杏八幡宮。
参道正面は稲荷、左手に手水舎と八幡宮拝殿。
境内社-銀杏稲荷神社・八幡宮創立以前から鎮座。
祭神-宇迦之魂神
お狐様は二対
社側-共に細身・左宝珠・右子持ち 参道側は厳つく尾も太い・左鍵持ち・右玉持ち 左右で共に雌雄なのだろうか。
戦後-宗教法人法により神道大教院所属の銀杏八幡宮を設立。
昭和27年(1952年)12月15日-都知事認証を受ける。
銀杏八幡.jpg

大廣神社
中央区日本橋浜町3-30-6
旧住所表示-濱町二丁目十八番地。
元禄6年(1693年)-新大橋を架設する際に安全の鎮守として創祀、明治維新後、浜町へ遷座したといいます。
昭和42年(1967年)10月-大橋稲荷神社に、末広稲荷神社を合祀して大廣神社と改称。
祭神-倉稲魂命
狛犬-二対
手前側-厳つく尾立ち左吽像、宝珠・右阿形子抱き。
奥側-細身尾は寝ている・左吽像、宝珠・右阿形子抱き。

越前堀
寛永11年(1634年)-越前福井藩主松平氏が蔵屋敷として拝領。 三方に巡らされた堀は俗に「越前堀」と称した。
明治5年(1872年)-越前堀一丁目・二丁目。
明治11年(1878年)11月2日-東京府京橋区越前堀。
明治22年(1889年)5月1日-東京府東京市京橋区越前堀。
明治33年(1900年)-堀は埋め立てられ姿を消した。
昭和6年(1931年)-東湊町一丁目の一部、東湊町二丁目の全部、新舩松町の全部を併合して新しい越前堀一丁目を起立。
一・二丁目の西部を越前堀二丁目。
一・二丁目の東部と銀町一丁目の一部、銀町二丁目の全部を合併し越前堀三丁目に再編。
昭和18年(1843年)7月1日-東京都京橋区越前堀。
昭和22年(1947年)3月15日-東京都中央区越前堀。
日本橋区と京橋区が合併、中央区誕生。
昭和46年(1971年)10月1日-住居表示実施。
越前堀一丁目・二丁目は新川二丁目・三丁目は新川一丁目。
越前堀一丁目・二丁目・三丁目は消滅した。


金刀比羅神社
中央区新川2-15-14
旧住所表示-越前堀一丁目十番地。
創建-天保年間(1830年~1844年)武蔵国山岡吉右衛門邸。
明治8年(1875年)10月-元松平越前守の中屋敷跡に遷座。
祭神-大物主神・崇徳天皇
『東京名所図会』に2基の獅子狛犬が置かれ、台石に寛政元年(1789年)6月吉日の銘が刻まれていたというが、どこへ出かけたか行方不明。
大正12年(1923年)9月1日-関東大震災、被災状況不詳。
昭和20年(1945年)-東京大空襲、被災状況不詳。
昭和23年(1948年)-社殿再建。
昭和41年(1966年)-鳥居と玉垣が新設される。

中洲(なかず)-みつまた・三派・三ツ俣・三つ股・三叉
明和8年6月16日(1771年7月27日)-馬込勘解由(6代目、馬込興承)により浜町と地続きになるように埋め立てが行われる。
安永元年12月18日(1773年1月10日)に中洲新地として竣工した。
安永4年(1775年)-町屋が整い、富永町となる。
寛政元年(1789年)-取り壊されて芦の茂る浅瀬に戻された。
この時の土砂は隅田土手の構築に利用された。
明治19年(1886年)-またもや埋め立てを行い、中洲河岸が完成し中洲町が出来上がった。
明治22年(1889年)-東京府東京市日本橋区中州町。
明治26年(1893年)-真砂座落成、中洲は茶屋や割烹が増え賑いを取り戻した。
昭和10年(1935年)-東京市日本橋区中洲に改称。
昭和18年(1843年)7月1日-東京都日本橋区中州。
昭和22年(1947年)3月15日-中央区日本橋中洲。
日本橋区と京橋区が合併して中央区発足。
旧日本橋区の町名は例外もあるが日本橋〇〇町となった。
昭和46年(1971年)4月4日-住居表示実施、東京都中央区日本橋中州。
昭和46年(1971年)-浜町との境、さらに翌年には箱崎町との境が埋め立てられて地続きとなった。
逸話-万治2年(1695年)吉原の遊女高尾太夫は中洲近くの船上で吊り斬りにされ、遺体が北新堀河岸に漂着し高尾稲荷に祀られた。


金刀比羅宮-船玉琴平宮
中央区日本橋中洲11-1
旧住所-日本橋区
創建-天明3年(1783年)
明治8年以降-茂森神社を境内に移し奉祀。
大正12年(1923年)9月1日-関東大震災、焼失。
記念碑-中洲は江戸時代隅田川の浮洲なりしを明治初年に埋立て此の地に船玉琴平宮が祀られ産業振興の神として広く崇められたり。
しかし惜しくも大正十二年関東大震災の為に烏有に帰し再建の機運に至らざりし所、湯浅勘次郎氏の夢枕が機縁となり同志相諮り此の地を卜して四国琴平宮の御霊を遷座奉祀し広く繁栄の守護神として茲に建立し奉る。
昭和二十九年十二月吉日
昭和20年(1945年)-東京大空襲、被災状況不詳。
祭神-記載文書なし。
狛犬-ふっくらとした佇まい、阿吽共に脚立ち。
社殿・覆屋-修復時期不明。

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