Tokyo-26

Tokyo-26
中央区
20年11月26日(木)

中央区の寺社-15

築地本願寺(西本願寺東京別院)-浄土真宗本願寺派
中央区築地3-15-1
創建-元和3年(1617年)浅草門内浜町に浅草御堂、「江戸御坊」「お西さま」。
開基-本願寺第十二世准如上人の発願。
本尊-阿弥陀如来立像(伝聖徳太子作)
振袖火事・明暦の大火-明暦3年1月18日(1657年3 月2日)~20日(1657年3 月4日)-類焼、築地を埋め立て移設「築地門跡」。
明治5年(1872年)2月26日-火災焼失。
明治26年(1893年)9月7日-火災焼失。
明治34年(1901年)5月-再建。
棟梁帝室技芸員伊東平左衛門・工事長堅田広吼の手によって造営。
東京教区二十六組三百四十五ヵ寺、奥羽教区九組百五十ヵ寺と称す。
国会図書館-大正11年(1922年)
東京史跡名勝天然記念物写真帖・第【1】輯-築地本願寺
国会図書館-大正11年(1922年)-東京史跡名勝天然記念物写真帖・第【1】輯-築地本願寺.jpg
大正12年(1923年)9月1日-関東大震災、焼失。
昭和14年(1939年)4月-再建・設計伊東忠太。
外観は古代インド仏教式と云われる。
大正大震災以前に中門内外に五十六の末寺を抱えていたが、震災以後近郊地帯の北多摩郡・世田谷区・大田区・葛飾区等に移転。
昭和20年(1945年)3月10日-東京大空襲、被災僅少。
平成24年(2012年)4月1日-浄土真宗本願寺派の新体制移行に伴い、正式名が従前の「本願寺築地別院」から「築地本願寺」へ。

浅草御堂-浅草御門内浜町とされている。
振袖火事・明暦の大火-明暦3年1月18日(1657年3 月2日)~20日(1657年3 月4日)で築地に移転する前の場所は神田川の南側にある、当時は横山町で門前町が橘町だ、現代の東日本橋3丁目。

法重寺村松山-浄土真宗本願寺派
中央区築地3-17-10
旧住所表示-築地三の一
創建-天正19年(1591年)南条則清(法名空了)が日本橋村松町の茅野を開拓し、坊舎を建てる。
明暦の大火後に本願寺「江戸御坊」と共に築地へ移転。
本尊-阿弥陀如来立像
明治5年(1872年)2月26日-火災焼失。
大正12年(1923年)9月1日-関東大震災、焼失。
昭和4年(1929年)4月-再建。


善林寺松籟山-浄土真宗本願寺派
中央区築地3-17-8
開基-越前朝倉家一門の武士、真柄十郎左衛門の孫。
四代目宗休-江戸浜町本願寺建立時、本願寺12代目准如上人の命により尽力し、その功績により寛永11年3月20日(1624)善林寺の号をいただき一ヶ寺を建立。
明暦の大火後に本願寺「江戸御坊」と共に築地へ移転。
関東大震災後の区画整理で晴海通り中央から現在地に移転。
善林寺は関東大震災を含めて前後8回火災で焼失した。
昭和6年(1931年)5月-本堂再建。
本尊-阿弥陀如来方便法身像


円正寺天護山-浄土真宗本願寺派
中央区築地4-12-9
創建-寛永12年(1635年)深川海辺町。
開基-宗誓(寛永12年卒)。
明暦の大火後に本願寺「江戸御坊」と共に築地へ移転。
本尊-阿弥陀如来。
昭和6年(1931年)-本堂再建。
築地本願寺の子院のうち、現存する唯一の戦前建築と「中央区ホームページ」にある。


称揚寺感応山-浄土真宗本願寺派
中央区築地4-13-14
創建-年代不詳。
開基-東山甲斐守の三男
本尊-阿弥陀如来、右脇に宗祖真鸞、左脇に八世蓮如上人。
昭和6年(1931年)3月-本堂再建。
表四ヶ寺の内で唯一築地に残っている。

妙泉寺雲悠山-浄土真宗本願寺派
中央区築地4-14-18
創建-寛永14年(1637年)9月19日赤坂に建立。
開基-覚栄。
元禄7年(1694年)-第四世教授の時、築地へ移転。
大正12年(1923年)9月1日-関東大震災、焼失。
平成3年(1991年)10月13日-本堂落慶。
屋上に青空墓地と納骨堂を設置。


佃島分院(佃島説教所)-浄土真宗本願寺派
中央区月島1-2-9
創建-昭和9年(1934年)
令和2年(2020年)-築地本願寺分院となる。
令和2年11月現在改築中(地上9階、地下1階)
予定-2階説教所、3階~9階は有料老人ホーム

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