謎多き寛永寺-5

20年12月30日(水)
寛永寺子院
公式ページで疑問に思ういくつかの子院を調べてみた。
林光院・見明院・元光院

明治3年(1871年)6月-見明院、妙教院が大学東校の使用として買い上げられる。

明治東京全図-明治9年(1876年)版には林光院・元光院は元の地にある。

林光院-東京府東京市下谷区上野桜木町34-1番地
元光院-東京府東京市下谷区上野桜木町48-1番地
見明院-東京府東京市下谷区上野桜木町47-2番地48-2番地・明治23年(1890年)移転
東京市拾五区区分全図、第八下谷区全図-明治33年(1900年)三版

林光院
明治35年(1902年)-東京府東京市下谷区上野桜木町48番地に移転(公式ページ)。
移転地には元光院と見明院があったはずだが、どちらかと共有したのだろうか。
追加情報-2021年1月1日
東京案内・上野公園之図-明治40年(1907年)版に北西から元光院、林光院、宝勝院とあるのでここへ移転したことは確認できた。
第八下谷区全図-明治33年(1900年)三版に北西から48-1に元光院、49-2に普門院、49-1に宝勝院とあったので普門院が動いたか調べてみたが地図以外の資料がなかった。

大正4年(1915年)-東京府東京市下谷区上野桜木町9番地に移転。
1b-明治33年(1900年)12月20日第三版東京逓信局-東京案内-明治40年(1907年).jpg
元光院
公式ページでは大正3年(1914年)に現在地に移転改築とあるが、東京市下谷区-大正10年(1921年)版には48番地に残っている。

見明院
大正3年(1914年)-東京府東京市下谷区上野桜木町9番地に移転としている。

9番地-寛永寺北東・徳川家墓地北西。
東京市下谷区-大正10年(1921年)版

両大師北側への移転についての公式ページ
元光院-東京都台東区上野公園16-24
当院は江戸時代を通して、創建当初の芸術大学の敷地を遠く離れることはなかった。
大正3年に現在地に移転改築をする。

見明院-台東区上野公園16-18
明治5年桜木町に移轉し、明治23年に亦移建する。大正3年上野桜木に移轉改築するも、昭和20年3月の戦災により焼失する。
昭和23年寛永寺より本尊千手観音を迎えて現在の地(上野公園)に再建する。

林光院-台東区上野公園15-9
昭和20年(1945年)3月-東京大空襲、全焼。
上野公園の凌雲院に仮寓。
昭和25年(1950年)8月-台東区上野桜木8番地に木造で再建。

公式ページに、林広院は埼玉・忍(おし)の城主、下総守・松平忠弘公の宿坊とあった、と出ている。
下総守松平忠弘の時には忍の藩主ではない。
松平忠堯の時代(文政6年・1823年)に桑名から忍へ国替えになり、松平忠敬で幕末を迎えた。

松平忠弘-寛永8年生まれ・元禄13年70歳死去。
お家相続に伴う白河騒動で元禄5年(1692年)白河から山形10万石へ減封お国替えの上隠居。

奥平松平家
三河作手藩→伊勢亀山藩→摂津大阪藩→大和郡山藩→播磨姫路藩→出羽山形藩→下野宇都宮藩→陸奥白河藩→出羽山形藩→備後福山藩→伊勢桑名藩→武蔵忍藩

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