Tokyo-42

Tokyo-42
台東区
21年2月1日(月)
台東区の寺社-14

新鳥越
正保2年(1645年)-浜町矢の倉にお蔵建設に伴って元鳥越の地は幕府御用地とされたため、熱田神社は移転が命じられる。
武蔵国豊島郡三谷村の北端に替地が定められ、同年6月には社殿を造営、氏子数十戸と共に遷座奉祀した。
町名は新鳥越と改められ、以降当地の鎮守となり三谷明神と称された。
新鳥越町一丁目〜四丁目は浅草吉野町・浅草光月町・浅草松葉町などを経て今戸二丁目・三丁目、石浜町一丁目、吉野町一丁目・二丁目・三丁目、山谷町一丁目、清川町一丁目などへ編入された。

新鳥越町四丁目-熱田神社
江戸時代-新鳥越町四丁目
明治2年(1869年)-東京府浅草吉野町。
昭和41年(1961年)10月1日-住居表示実施、台東区今戸二丁目13-6

浅草今戸町
今戸村のうちに形成された町屋、江戸時代以前から在ったとされる。
はじめ「今津」と書いたと云う。
明治11年(1878年)11月2日-東京府浅草区浅草今戸町。
明治22年(1889年)5月1日-東京府東京市浅草区浅草今戸町。
明治24年(1891年)-地方今戸町字今都(いまず)耕地(今津耕地とも)、同飛地を併せ町域を拡大した。
昭和7年(1932年)-区画整理で再編。
一部は石浜町一丁目に編入。
一部と亀岡町一・二丁目の各一部で今戸一丁目。
一部と亀岡町二・三丁目の各一部で今戸二丁目。
一部と亀岡町三丁目、吉野町の北部、橋場町の各一部で今戸三丁目。
明治44年(1911年)-町名につけていた浅草は昭和22年(1947年)まで廃止された。
昭和10年(1935年)-残余は隅田公園に編入。
昭和18年(1943年)7月1日-東京都浅草区今戸町。
昭和22年(1947年)3月15日-浅草区と下谷区が合併、台東区を新設。
台東区浅草今戸町。
昭和41年(1966年)10月1日-住居表示実施。
浅草今戸町一丁目の全部と浅草吉野町一丁目、浅草隅田公園の各一部が浅草今戸一丁目。
浅草今戸町二丁目・浅草今戸町三丁目の全部と浅草吉野町二丁目・浅草吉野町三丁目の各一部が浅草今戸町二丁目。
浅草石浜町一丁目が橋場一丁目、清川一丁目。


今戸神社-旧八幡宮
台東区今戸一丁目5-22
創建-後冷泉天皇康平6年(1063年)に京都の石清水八幡を勧請。
今戸八幡社。
御祭神-應神天皇・伊弉諾尊・伊弉冉尊
福禄寿…七福神の内の一神
七福神巡拝-昭和52年1月より復活。
寛永13年(1636年)-再建
大正12年(1923年)9月1日-関東大震災、焼失。
再建
昭和12年(1937年)7月-白山神社を合祀、今戸神社と改称。
昭和20年(1945年)3月-東京大空襲、焼失。
昭和46年(1971年)11月-再建。
招き猫発祥の地の一社と云われている。


熱田神社
台東区今戸二丁目13-6
旧住所表示-浅草区浅草吉野町
旧住所-浅草新鳥越四丁目
創建-元亀2年(1571年)6月
正保2年(1645年)-浜町矢の倉にお蔵建設に伴って元鳥越の地は幕府御用地とされたため、移転が命じられる。
武蔵国豊島郡三谷村の北端に替地が定められ、同年6月には社殿を造営、氏子数十戸と共に遷座奉祀した。
町名は新鳥越と改められ、以降当地の鎮守となり三谷明神と称された。
祭神-日本武尊・橘姫命
大正12年(1923年)9月1日-関東大震災、焼失。
大正13年(1924年)6月-仮社殿建設。
昭和2年(1927年)11月-区画整理にさいし、本殿を鉄筋コンクリート造で今戸に再遷座。
昭和20年(1945年)-東京大空襲、本殿被災なし。
昭和40年(1965年)10月-拝殿・幣殿造営。
拝殿は外削ぎの千木がついたコンクリート造。
幣殿は切妻。
本殿は棟持ち柱があり、神明造りなのだろうか。
鳥居-石造の靖国鳥居。
狛犬-昭和40年(1965年)社殿落成を記念して造立。
阿吽共に尾立ち、脚立ち。
池のそばは弁財天だろう、その先に豊川、その脇にも稲荷がある。
社殿には豊川出世稲荷神社の扁額が上がる。
鳥居は石造り明神鳥居の奥に赤い神明鳥居。
お狐様は脚立ちの流麗なお姿、左は巻物、右は巻物様の宝珠を咥えている。
狛犬-阿吽共に尾立ち、脚立ち。
灯台に鳥よけの網がかぶさっている。
鳥越神社、第六天榊神社とともに鳥越三所明神と称される。
熱田神社と大太刀「陰陽丸」(インヨウマル-オンヨウマルとも)
熱田神社-大太刀.jpg
国会図書館-大正11年(1922年)-東京史跡名勝天然記念物写真帖・第二輯-熱田神社
熱田神社-大正11年-2.jpg

鷲神社
台東区千束3-18-7
創建
社伝によると天照大御神が天之岩戸にお隠れになり、天宇受売命が、岩戸の前で舞われた折、弦(げん)という楽器を司った神様がおられ、天手力男命が天之岩戸をお開きになった時、その弦の先に鷲がとまったので、神様達は世を明るくする瑞象を現した鳥だとお喜びになり、以後、この神様は鷲の一字を入れて鷲大明神、天日鷲命と称される様になりました。
後に日本武尊が東夷征討の際、社に立ち寄られ戦勝を祈願し、志を遂げての帰途、社前の松に武具の「熊手」をかけて勝ち戦を祝い、お礼参りをされました。その日が十一月酉の日であったので、この日を鷲神社例祭日と定めたのが酉の祭、「酉の市」です。この故事により日本武尊が併せ祭られ、御祭神の一柱となりました。
祭神-天日鷲命・日本武尊
隣接する長国寺に祀られていた鷲宮。
東京都足立区花畑7丁目の大鷲神社の「おおとり」に対し、鷲神社は「しんとり」と呼ばれた。
神仏分離-長国寺から独立、鷲神社となる。
大正12年(1923年)9月1日-関東大震災、焼失。
昭和20年(1945年)-東京大空襲、焼失。
戦後再建。
鳥居
一の鳥居-昭和五年拾月吉日(1930年)・赤い明神鳥居
扁額-鷲宮
二の鳥居(小鳥居)-天保十己亥年九月吉日(1839年)・石の明神鳥居。
浅草七福神のひとつ寿老神が祀られ下町八社巡りの一社。
国会図書館-大正11年(1922年)-東京史跡名勝天然記念物写真帖・第二輯-鷲神社
鷲神社-大正11年-2.jpg
長国寺ホームページ
当山は江戸時代初期、寛永七年(1630年)に石田三成の遺子といわれる、 大本山-長國山鷲山寺(じゅせんじ)第13世・日乾(にちけん)上人によって、鳥越町(とりこえちょう)に 開山されました。山号を鷲在山(じゅざいさん)寺号を長國寺(ちょうこくじ)と称します。
寛文九年(1669年)には坂本伝衛門氏の後ろだてにより、新吉原の西隣にあたる現在の地(台東区千束)に移転し、江戸時代から続く代表的な年中行事である、浅草酉の市の発祥の寺として、今日に至っています。

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