Tokyo-44

Tokyo-44
台東区
21年2月6日(土)
台東区の寺社-16

下谷竹町
浅草の竹町は現雷門二丁目。
明治5年(1872年)
出羽秋田(久保田)藩佐竹家20万8000石上屋敷・伊勢津藩藤堂家32万3000石中屋敷・伊予大洲藩加藤家6万石中屋敷・出羽矢島藩生駒家1万5000石上屋敷を含む近隣の武家地が合併して起立。
この地は俗に「竹門」と呼ばれ、そこから竹町となったと云われている。
昭和22年(1947年)3月15日-浅草区と下谷区が合併、台東区を新設。
昭和39年(1964年)1月1日-住居表示実施、台東二丁目・三丁目・四丁目に編入となり下谷竹町消滅。

金刀比羅神社-竹町(たけちょう)
台東区台東二丁目24-1
創建-慶長年間、讃岐守生駒一正、領国讃岐国象頭山金刀比羅大権現の神霊を頒ってここに安置す。
御祭神-大物主命・崇徳天皇
昭和20年(1945年)-東京大空襲、焼失。
昭和38年11月10日-再建
狛犬-阿吽共に尾流れ、脚立ち。
鳥居-大正13年(1924年)の建立、扁額は金刀比羅宮。
竹南橋(ちくなんばし)-社殿前昭和43年(1968年)の建立。
神仏分離令以前は象頭山松尾寺金光院に象頭山金毘羅大権現が祀られていた。
琴平神社が分離し同年7月金刀比羅宮と改称、権現から大物主へ祭神を変更、崇徳天皇は永万元年(1165年)から合祀されている。


秋葉神社-佐竹秋葉神社
台東区台東四丁目21-23
明治22年(1889年)-秋田佐竹藩上屋敷跡地に秋葉神社の分霊を勧請。
「明治十八年(一八八五)一月二十日に深川御船蔵前町(現在の江東区
新大橋二丁目十〜十一番付近)にあった秋葉山中央寺(現在は江東区南砂
移転)から御遷座になりました。(読売新聞の記事による)」(配布文書)
祭神-火之迦具土大神
大正12年(1923年)9月1日-関東大震災、被災。
昭和5年(1930年)5月9日-現在地に社殿竣工(配布文書)。
(平成10年の佐竹町会の由来掲示板では4月とされていた)
狛犬-昭和五年五月吉日、阿吽共に尾流れ、脚立ち。
昭和20年(1945年)-東京大空襲、被災なし。
配布文書の作成日時は不明だが掲示板の取り換えが行われた模様だ。
佐竹秋葉神社.jpg
佐竹秋葉神社-佐竹町会1.jpg
佐竹秋葉神社-佐竹町会2.jpg

上野照崎-小野篁伝説の地(上野忍岡)
陸奥太守からの帰途・上野国守の帰途などの話が残るが、実際に赴任した記録はない。
篁の陸奥下向は弘仁6年(815年)に陸奥守に任ぜられた父・岑守に従って陸奥国へ赴いたときだ(14歳~)。
この時の帰途に父・岑守の話なら納得できるが。
下野では足利学校を創立の伝承も残る。
承和9年(842年)-いくら篁の超人伝説でもこの日程で陸奥へ赴任しその岐路、上野殿(諫議亭)を築き、里人を教化したとの伝承は無理だろう、東宮学士が在京していないはずがない。
6月-陸奥太守(従五位上)。
8月4日-東宮学士(皇太子・道康親王)。
8月11日-式部少輔。
篁伝説は何時出来上がったのだろうか奥の深い話だ。

小野照崎神社(旧村社)
台東区下谷2-13-14
創建-仁寿2年(852年)上野照崎の地に創建。
寛永寺建設に伴い入谷長左衛門稲荷の地に移転。
祭神-小野篁公・菅原道真命
本殿-江戸末期、慶応2年(1866年)建造(現存)
狛犬
大正11年(1922年)9月-正参道台輪鳥居の足元でお出迎え、可笑しみにあふれ思わず笑顔になる、。
明和元年(1764年)9月吉祥日(坂本壹町目氏子中)-阿吽共に頭に髷(宝珠)、尾立ち、脚立ち。
境内社
長左衛門稲荷神社・織姫神社合祀。
お狐様-飛び狐とでもいうのか軽快に走り出している。
琴平神社・御嶽神社・三峯神社合祀。
こちらは狛犬は狼のように見える。
浅間神社-富士塚には一合目役行者像と五合目藤原角行の像。
こちらは狛猿が手を合わせている。
富士講の一派入谷東(山東)講が文政11年(1828年)境内に築造。
庚申塚-祭神猿田彦命。
国会図書館-大正11年(1922年)-東京史跡名勝天然記念物写真帖・第二輯-小野照崎神社
小野照崎神社-大正11年-2.jpg

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