花音伝説-76

2022年1月12日(水)
外城七門-3
十五世紀後半からの蒙古の南侵に備え世宗嘉靖帝が外城を設置したときに設けられたのは間違いないようだ。
外城は明嘉靖三十二年(1553年)設置と伝えられている。

東便門(ドンピィェンメン)-(不詳)
a-3-内城東南角楼-東便門-東城壁角楼-乾隆全図
a-3-内城南東角楼-東便門‐外城東北角楼.jpg
a-3-東便門-東城壁角楼-乾隆全図。
a-3-東便門-東城壁角楼.jpg
a-3-東便門-乾隆全図。
a-3-東便門.jpg
東便門1921
a-3-東便門1921.jpg
東便門火車站と題する1900年~1930年代の写真があるが箭楼が疲弊した様子が見えないのは写真が東南角楼で東南側面はこの時代屋根が破損している。
窓は西側と北側に数が少なく南と東が多い。
東便門は北側に向いていて、東便門火車站は東便門の南側で線路から瓮城は見えず、乾隆全図に箭楼は見えない。

1930年代-瓮城、箭楼は荒廃して拆除。
1958年-城楼、北京駅建設時に拆除。
内城東南角楼現存。
ほとんどのサイトが東便門角楼(箭楼)としていた、北京明城壁遺跡公園で城壁内へも「火車券洞」から入って行くことが出来る。
火車券洞-1915年建設、京師環城鉄路の列車が通るために開けられ、東護城河と城壁の間へ線路を引いてバイパスで繋げた。
1954年に環城線は廃止された。

西便門(シーピィェンメン)-(1952年取壊)
乾隆三十一年(1766)-補建。
a-3-外城西北角楼-西便門-内城西南角楼-乾隆全図 。
a-3-外城西北角楼-西便門-内城西南角楼.jpg
a-3-外城西北角楼-西便門-乾隆全図。
a-3-外城西北角楼-西便門.jpg
a-3-西便門-乾隆全図。
a-3-西便門.jpg
西便門1901
西便門1901.jpg
西便門城壁と云う名で馬面が残っている。
1949年-城樓被拆除。
1952年-城樓、箭樓、瓮城於拆除。


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