横浜の遊郭と火事の歴史-17

2020年2月27日(木)
横浜遊郭 – 永楽町・真金町-6
最盛期から大震災・大空襲・赤線時代へ

長者町3丁目仮宅~明治15年5月(1882年)永楽町・眞金町への移転始まる~明治21年(1888年)6月30日移転完了~永真遊郭-明治29年(1896年)6月~昭和33年3月(1958年)売春防止法施行猶予期間終了-遊郭閉鎖
永真遊郭-大門.jpg

神風楼ネクタリンナンバー9-NECTARINE No9
高島町遊郭移転で永楽町一丁目に移った神風楼は、明治20年神奈川七軒町へ日本人用と外人専門の洋館を建てた。
当時の金で15万円、日本人用家屋2階及び3階で建坪1200坪という途方もない大きさ、洋館は2階建て400坪、発電所を備え不夜城の歓楽場となった。

なんと遊女、芸妓等ここで働く人数は2千人といわれた、本当ですかね。

花魁の部屋は八畳に四畳の二の間がつき、216番まであったという。
引付は桜・紅葉・松・竹・桔梗とそれぞれ50畳から80畳もあったという。
発電所は明治29年、近隣への供給をはじめ神奈川電灯会社となった。
明治33年に神奈川遊郭は廃止となり反町へ、移転しない神風楼は永真遊郭・永楽町一丁目へNECTARINE No9を移し併せることになった。
(史稿は真金町としている)

大正大震災の後再建して、昭和に確認できた貸座敷。
年代は永楽町・真金町で確認できる年で創業年とは違う、高島町は情報不足、確実なのはわずか7軒。
明治15年5月(1882年)永楽町・眞金町への移転始まる
昭和33年3月(1958年)売春防止法施行猶予期間終了-遊郭閉鎖
永楽町
三日月楼-明治26年(1893年)以前
一月楼-明治21年(1888年)以前-高島町
勢州楼-明治21年(1888年)以前-高島町
八幡楼-明治26年(1893年)以降-明治39年(1906年)以前
松島楼-明治26年(1893年)以前-永楽町
一圓楼-明治26年(1893年)以前-永楽町
橋本楼-明治26年(1893年)以前-永楽町
二宮楼-明治26年(1893年)以前-永楽町
蓬莱楼-明治26年(1893年)以前-永楽町
寶槌楼-明治26年(1893年)以降-永楽町
第一和廣楼-明治26年(1893年)以降-永楽町
いろは(イロハ)永楽町-明治26年(1893年)以降-大正12年(1923年)以前

真金町
金田楼-明治26年(1893年)以前-真金町
一力楼-明治26年(1893年)以降-真金町
蓬泉楼-明治26年(1893年)以降-真金町
常盤楼-明治26年(1893年)以降-真金町
海月楼-明治26年(1893年)以降-真金町
金月楼-明治26年(1893年)以降-真金町

住所不詳
五十鈴-明治26年(1893年)以前→関連不詳→五十鈴楼(港崎)
金宝→関連不詳→金寶楼-明治26年(1893年)以前
富士見→明治26年(1893年)記載無し・関連不詳→富士見楼(港崎・吉原町)
長盛・長盛本店・第二長盛・第三長盛→関連不詳→永盛楼明治26年(1893年)記載

富士楼について
桂歌丸師匠の実家、祖母のタネさん(真金町の三婆として高名)が関東大震災後に開いたとされる。

西洋人専門貸座敷-横浜繁盛記-明治36年(1903年)
神風・櫻屋・柏屋・花屋・朝日屋

1893-移転記録-永楽町
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1893-移転記録-真金町
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1893-移転記録-永真遊郭
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