横浜の遊郭と火事の歴史-3

2020年2月11日(火)
港崎遊郭-3
横浜港開港 安政6年6月2日(1859年7月1日)

港崎遊郭(みよさき・みよざき・こうざき・スワンプswamp)
多くは「みよざき」としてあるが、古老の昔語りはこうざきが多い。

1860 -横浜本町并ニ港崎町細見全図-五雲亭貞秀-万延元年(1860年)部分
1860 -横浜本町并ニ港崎町細見全図-五雲亭貞秀-万延元年(1860年)部分.jpg

1860-万延元年(1860年)4月-港崎細見記-岩亀楼版-一壽齋芳員画
1860-万延元年(1860年)4月-港崎細見記-岩亀楼版-一壽齋芳員画.jpg

1865-みよざき細見記-金比羅大権現-南草庵-元治2年(1865年)
1865-みよざき細見記-金比羅大権現-南草庵-元治2年(1865年).jpg

横浜市史稿-風俗編より-遊女屋 樓→楼に変換
万延元年(1860年)4月-港崎細見記-岩亀楼版-一壽齋芳員
金毘羅・大鷲・稲荷
遊女屋15軒-遊女331人
局見世44軒-遊女239人
案内茶屋27軒
岩亀楼36人・新岩亀楼27人・五十鈴楼39人・新五十鈴楼17人
出世楼19人・開勢楼20人・金浦楼16人・玉川楼21人
岩里楼27人・戸崎楼(戸咲楼)16人・伊勢楼23人・金石楼17人
泉橋楼26人・大本楼15人・保橋楼12人

文久2年(1862年)-横濱ばなし
遊女屋15軒
岩亀楼・新岩亀楼・金浦楼・開盛楼(ママ)・岩井楼
金石楼・保橋楼・泉橋楼・玉川楼・岩里楼
富士見楼・出世楼・伊勢楼・新五十鈴楼・甲子楼

元治2年(1865年)-みよさき細見記
遊女屋16軒-遊女406人
局見世80軒-遊女603人
本岩亀楼39人・新岩亀楼44人・岩里楼23人
富士見楼22人・金石楼33人・静松楼22人
出世楼12人・藤本楼26人・二見楼12人
保橋楼6人・玉川楼30人・神風楼52人
甲子楼8人・泉橋楼・42人・金浦楼35人
異人揚屋人数記載なし-岩亀楼-手踊り舞子10人他

慶応2年(1866年)遊女数は1387人

元治2年版に五十鈴楼の名が見えず他の資料をあたろうとしたが、消えた事情は判明しなかった。
伊勢楼(伊世楼)・神風楼について
此処も同じように元治2年版に伊勢楼の名が見えないが、伊勢楼楼主粂蔵は弟の綱吉名義にて元治元年に神風楼開業。
港崎焼失後の吉原町では姪の山口とめに伊勢楼を譲り、粂蔵が神風楼を経営した。
神風楼は高島町に移り城郭式三層の和洋折衷館を建て右を日本人、左を外国人専用とした。




1865-みよさきさいけんき-南草庵-慶応元年(1865年) 未見
岩瀬文庫
1869-横浜吉原細見記-不二屋久之助-明治2年(1869年) 未見
関西大学
1871-横浜吉原細見記-佐野屋冨五郎-明治4年(1871年) 未見
東京都立図書館


太田町仮宅
慶応2年11月(1866年12月)~慶応3年5月(1867年6月)
太田町二丁目(丁目が変更され今の五丁目、六丁目付近)


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