横浜の遊郭と火事の歴史-4

2020年2月12日(水)
横浜遊郭 – 新吉原・吉原町遊郭-1
慶応3年5月29日(1867年7月1日)~明治4年10月27日(1871年12月9日)焼失-遊女屋の半分が燃え落ちた。
注-明治4年11月焼失(史稿.風俗編)

神風楼について、ここ横浜町遊郭へ移った後、伊勢楼が神風楼を開いたと書く人たちがいるのだが、元治2年(1865年)-みよざき細見記-南草庵にあるようにすでに港崎時代より営業している。

1868-横浜明細全図 再版慶応4年歌川芳員(一川芳員)-吉原町遊郭
同図の新岩楼は新岩亀楼の間違い、この絵図を基にした人は勘違いしているだろう、さらに横浜弌覧之真景は明治2年の細見図に従っているが慶応3年営業開始の並びから大きく変更された記録はないので後のほうが正確だろう。
1868-横浜明細全図 再版慶応4年歌川芳員(一川芳員)-吉原町遊郭.jpg

1869-横濱吉原細見記-吉原廓之圖-明治2年(1869年)
1869-横濱吉原細見記-吉原廓之圖-明治2年(1869年).jpg

明治2年3月-横濱吉原細見所載
遊女屋18軒-遊女424人
局見世84軒-遊女963人
金毘羅・大鷲・稲荷・病院
岩亀楼35人・泉橋楼39人・富士見楼19人
玉川楼43人・新岩亀楼36人・静松楼20人
伊勢楼27人・三國楼9人・甲子楼14人
神風楼37人・岩里楼29人・金石楼21人
金浦楼26人・大豊楼23人・二見楼16人
松永楼5人・出世楼16人・藤本楼9人
局見世
萬長屋  18軒-199人
壽長屋  12軒-141人
千歳長屋 23軒-275人
寶来長屋 15軒-187人
末廣長屋 16軒-161人



ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント