Tokyo-25

Tokyo-25
中央区
20年11月25日(水)

中央区の寺社-14

佃島
天正18年(1590年)徳川家康関東下降に際し、摂津国佃の漁夫33人と住吉の社(田蓑神社)の神職平岡大夫の弟、権大夫好次が分神霊を奉戴して江戸にくだり、寛永年間に幕府より鉄砲洲向かいの干潟を賜り、築島工事を起こし、正保2年(1645年)に竣工し、元の名から佃島と名付けた。


住吉神社
中央区佃1-1-14
正保2年(1645年)-佃島を竣工。
創建-正保3年(1646年)6月29日・住吉三神、神功皇后、徳川家康公の御霊を奉遷祭祀。
安政5年(1858年)-社殿が類焼する。
慶応2年(1966年)11月-神田の火災の際類焼。
この年11月は二度の大火が起きている。
焼場方角付-頃ハ慶応二年寅十一月四日よ九ツ時より深川相川町より出火いたし云々。佃島に飛火し石川橋にて焼留。
焼場方角細見記-頃ハ慶応二丙寅年十一月九日夜八ツ時頃神田永富丁辺より出火いたし云々。
此火佃じまへとび石川さまりやうし丁大はんやける翌十日昼六ツ時過漸火鎮り人々安土の思ひをなす唯火の用心ハかんやうなり。
(別の読売では十日暁八ツ時ごろ神田永富町より出火云々。鉄砲洲本湊町船松町此辺焼死人多シ夫より佃島へ飛火致七分通り焼昼九ツ半時漸々鎮火致候)
さらに別口は、十日夜暁八ツ時ごろ神田新かハ屋丁より出火云々。鉄砲洲本湊町船松町此辺焼死人多シ夫より佃島へ飛火致七分通り焼昼九ツ半時漸々鎮火致候。
夜暁=夜明け
夜八ツ時・暁八ツ時・夜暁八ツ時-夜中の1時~3時だが旧暦11月だと1時半~4時見当か。

明治3年(1870年)-社殿、拝殿、幣殿落成。
拝殿と幣殿は現存、本殿の修復時期は未詳。
この時建てられた神輿倉はレンガ作り、大正12年(1923年)9月1日-関東大震災、や空襲にも耐えたが東日本大震災で破損したが修復され今でも倉庫として現存。
国会図書館-大正12年(1923年)-住吉神社
東京市史蹟名勝天然紀念物写真帖. 第二輯
東京市史蹟名勝天然紀念物写真帖. 第二輯-住吉神社.jpg
住吉神社-略縁起
住吉神社縁起.jpg
明治5年(1872年)-村社。
明治6年(1873年)-郷社
祭神-底筒之男命・中筒之男命・表筒之男命(住吉三神)・息長足姫命(神功皇后)・東照御親命(徳川家康)
境内社-入船稲荷神社・疫神社・疱瘡神社・船魂神社・龍神社。
一之鳥居は赤の神明鳥居・旧一之鳥居は平成27年(2015年)に撤去。
二之鳥居は白の明神鳥居で扁額は陶製(有栖川宮幟仁親王謹書)。
扁額は明治15年(1882年)に有栖川宮幟仁親王殿下ご参拝時の御染筆を明治28年(1895年)に瀬戸の陶工・加藤甚四郎が作成した。
狛犬
昭和4年(1929年)8月奉納-阿像-尾立ち玉持ち・吽像-尾立ち子持ち。
八角神輿-天保9年(1838年)5月芝大門通の万屋利兵衛によって製作されて奉納された。
本祭りは3年に一度、令和3年(2021年)8月の予定。 祭りの作業開始とともに建てられる黒木鳥居は「大又木」と変更。
拝殿(鰹木7本)の奥に本殿(鰹木5本)と入船稲荷神社。
大正12年(1923年)9月1日-関東大震災、被災状況不詳。
佃島は被害が少なかったという。
昭和20年(1945年)-東京大空襲、被災状況不詳。
3月10日の下町空襲、5月25日の山の手空襲からも家屋の密集した佃島は被災を免れて、今も昭和初期の家並みを残してている。


住吉神社勝どきお旅所
中央区勝どき4-13-7
元は大阪市の田蓑神社(旧住吉神社)の遙拝所。
月島地域の埋め立てが進み、氏子区域の拡大に伴い勝どきに遥拝所として御旅所が設置。
例祭-御旅所に一晩宮神輿が据え置かる。
本祭りは3年に一度。
平成27年(2015年)-徳川家康没後400年、住吉神社の鎮座370年記念の本祭り。
狛犬
昭和10年(1935年)8月建立-阿吽共に尾立ち、脚立ち。
祭神-底筒之男命・中筒之男命・表筒之男命(住吉三神)息・長足姫命(神功皇后)・東照御親命(徳川家康)。
昭和59年7月-勝どき御旅所新築。


日枝神社日本橋摂社
中央区日本橋茅場町1-6-16
旧住所表示-日本橋区南茅場町三十三番地
寛永年間(1624年~1645年)に当地を山王日枝神社の御旅所と定められ遥拝所が設けられたといいます。
山王宮と称したと云う。
祭神-日枝咋神(大山咋神・国常立神・伊弉冉神・足仲彦尊)
相殿-菅原大神(菅原道真公)・稲荷大神(宇氣母智神)・浅間大神(木花佐久夜比売命)
明治元年(1868年)-神仏分離令により薬師堂と別当智泉院の敷地は境内から分離。
明治10年(1877年)-山王宮は無格社日枝神社。
大正4年(1915年)-本社の官幣大社昇格に伴い摂社日枝神社と改称。
大正12年(1923年)9月1日-関東大震災、被災状況不詳。
昭和3年(1928年)-社殿造営、境内末社(北野神社・稲荷神社・浅間神社)が合祀。
昭和20年(1945年)-東京大空襲、被災。 被災後に補修を行う。
石鳥居-万治年間に本社石階段下に設けられましたが、昭和36年(1961年)に現在地に移設。
昭和41年(1966年)-御屋根葺替と大修理を加える。
平成22年(2010年)-老朽化した社殿に外装工事を施す。
狛犬-昭和9年(1934年)6月奉献 阿吽と言っていいのかな、共に脚立ち・尾立ち。
鳥居をくぐると45度に首を上へ向けて吠えている。
その先は社号標柱で左右に分かれ、左が社務所、右は社殿。
境内-明徳稲荷大神


明徳稲荷神社
中央区日本橋茅場町1-6-16
旧住所表示-南茅場町五十四番地(摂社は三十三番地)
旧住所-日本橋区本木材町四丁目河岸
創建-年代不詳。
大正12年(1923年)9月1日-関東大震災後にこの地に鎮座。
昭和5年(1930年)-産千代稲荷社を合祀。
昭和20年(1945年)3月10日-東京大空襲、焼失。
現在の東京証券会館敷地に再建されたが、会館の建設のため昭和38年(1963年)に当社境内に再遷座。
資料には、霊験顕著なる翁稲荷、町内鎮座の祇園稲荷、楓川天神なども合祀と云う。
日枝神社の兼務社
お狐様
覆い屋のついた社の前にわずかに鳥居のほうへ首をかしげている。
左は玉持ち・右は子持ち、共に尾は太い。
参考Goo地図-八町堀霊岸嶋日本橋南之・文久再編
https://map.goo.ne.jp/history/edo/map/6/

新川大神宮
中央区新川1-8-17
寛永2年(1625年)-慶光院周清上人が徳川二代将軍から江戸代官町に屋敷を賜り、邸内に伊勢両宮の遥拝所として創建。
振袖火事・明暦の大火-明暦3年1月18日(1657年3 月2日)~20日(1657年3 月4日)で類焼。
万治元年(1659年)-霊岸島(新川・四日市丁)に替地を賜り再建。
霊岸島に在った霊岸寺は明暦の大火によって罹災して深川に移る。
明治初年-天祖神社と称した。
境内に残る灯台に天祖神社と刻まれている。
大正12年(1923年)9月1日-関東大震災、被災状況不詳。
ホームページに記載なし。
昭和20年(1945年)3月9日-東京大空襲、社殿焼失。
境内掲示板では9日とされているが、爆撃機の来襲を八丈島のレーダーが発見、22時30分にラジオ放送を中断、警戒警報を発令。
東京近辺に来ないと判断し警報を解除。
10日0時07分爆撃が開始された。
第一目標-深川区・第二目標-本所区・第三目標-浅草区・第四目標・日本橋区。
0時15分改めて空襲警報が発令された。
昭和27年(1952年)10月17日-社殿を再建。
昭和30年(1955年)3月-新川大神宮と改称。
祭神-天照皇大神、豊受大神
新川大神宮-再建由来誌
新川大神宮-再建由来誌.jpg

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