Tokyo-27

Tokyo-27
中央区
20年11月27日(金)
中央区の寺社-16

身延別院-日蓮宗
中央区日本橋小伝馬町3-2
創建-明治16年(1883年)、身延山久遠寺の別院(祖師堂)として建てられた。
本尊-日蓮聖人坐像
大震災・空襲を無事に遁れる。
大正12年(1923年)9月1日-関東大震災、焼失。
昭和3年(1928年)-再建。
昭和20年(1945年)-東京大空襲、被災なし。


大安楽寺新高野山-高野山真言宗
中央区日本橋小伝馬町3-5
旧住所表示-日本橋小伝馬町一の三
明治8年5月-小伝馬上町の牢舎が廃止。
麻布市兵衛町、五大山不動院の住職山科俊海大僧正は霊がさまよえるのを感じ、江戸伝馬町の牢屋敷処刑場跡のこの地に慰霊のために寺の建造を発願した。
明治15年(1882年)11月-大倉喜八郎と安田善次郎が土地を寄進し、両氏の名から「大」と「安」を選び、大安楽寺と号した。
高野山準別格本山
本尊-十一面観世音菩薩
江戸三十三観音霊場五番札所
大正12年(1923年)9月1日-関東大震災、焼失。
昭和4年(1929年)-再建。
昭和20年(1945年)-東京大空襲、被災なし。


薬研堀不動院-真言宗智山派
中央区東日本橋2-6-8
川崎大師平間寺、東京分院。
創建-天正13年(1585年)豊臣秀吉の根来攻めの時、根来寺の大印僧都が不動尊像を背負いこの地に至った。
本尊-不動明王
天保年中-本所弥勒寺中へ移される。
維新後-有縁の旧地に戻った。
明治25年(1892年)-真言宗智山派大本山川崎大師平間寺の別院となる。
関東三十六不動二十一番札所、御府内八十八ヶ所霊場二十三番札所。


大観音寺-聖観音宗
中央区日本橋人形町1-18-9
旧住所表示-日本橋人形町二の三
旧住所-蛎殻町二丁目十四番地
創建-明治13年(1880年)
本尊-鉄造菩薩頭
鎌倉の鉄ノ井(くろがねのい)から発見された。
昔、この井戸から高さ170cm余りの鉄観音の首を掘り出したことから、この井戸を鉄ノ井と名付けた。
正嘉2年(1258年)正月17日の火事以来ゆくへがわからなかった。
元扇ヶ谷清水寺の本尊で頭部のみ発見されたが明治の廃仏毀釈で打ち捨てられそうになった。
明治6年(1873年)-石田可村、山本卯助の両人が搬出して深川御船蔵前の河岸に陸上げしたという。
明治9年(1876年)-人形町通り蠣殻町二丁目に仮堂を建てる。
明治13年(1880年)2月-大悲閣を建立し正遷座を執行したと云う。
大正12年(1923年)9月1日-関東大震災、堂宇焼失。
本尊は無事。
昭和15年(1940年)10月17日-本堂再建。
昭和20年(1945年)-東京大空襲、被災なし。
昭和新撰江戸三十三観音霊場三番霊場
平成23年(2011年)3月11日-東日本大震災時、正面を向いていた鉄造菩薩頭が、やや右の方向(真東)に向きを変えたという。
鉄造菩薩頭-中央区教育委員会
鉄造菩薩頭 -中央区教育委員会.jpg
本堂
鉄造菩薩頭.jpg

清正公寺(肥後本妙寺別院)-日蓮宗
中央区日本橋浜町2-59-2
旧住所表示-日本橋浜町二の十二
創建-文久元年(1861年)-細川藩主細川斎護が下屋敷に熊本本妙寺に安置する加藤清正公の分霊を勧請。
明治-一時加藤神社となる。
明治18年(1885年)仏式に戻して清正公堂と改称。
大正12年(1923年)9月1日-関東大震災、焼失。
区画整理により敷地の大部分を失う。
昭和4年7月15日-公園開園と同時に、復興局から提供された公園内堂宇敷地に遷座。
昭和20年(1945年)3月10日-東京大空襲、焼失。
昭和34年(1959年)-本堂再建。
本尊-十界本尊・開運勝利高祖日蓮大菩薩尊像・清正公大神祇尊像

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