Tokyo-14

Tokyo-14
中央区
20年11月14日(土)

中央区の寺社-3

小伝馬上町(こでんまかみちょう)
小伝馬町の上(北側)に位置した。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)-江戸府小伝馬上町。
明治11年(1878年)11月2日-東京府日本橋区小伝馬上町。
明治22年(1889年)5月1日-東京府東京市日本橋区小伝馬上町。
昭和7年(1932年)-小伝馬町一・二丁目に編入、小伝馬上町消滅。
昭和18年(1943年)7月1日-東京都発足、東京都日本橋区。
昭和22年(1947年)-日本橋区と京橋区が合併して中央区が成立。
旧日本橋区の町名は例外もあるが日本橋〇〇町となった。
昭和55年(1980年)-住居表示で丁目はなくなった。
日本橋小伝馬町一丁目から三丁目は中央区日本橋小伝馬町
国会図書館〔江戸切絵図〕-嘉永3年(1850年)版
日本橋北神田浜町絵図
国会図書館〔江戸切絵図〕-嘉永3年(1850年)版-日本橋北神田浜町絵図-小伝馬上町.jpg

千代田神社
中央区日本橋小伝馬町9-1
旧住所表示-東京市日本橋区小傳馬上町一八番地
創建-年代不詳。
祭神-倉稲魂命
稲荷諏訪兩神社合殿-扁額には千代田、諏訪、八百田、三社とあったと云う。
大正12年(1923年)9月1日-関東大震災、焼失。
昭和2年(1927年)-現在地に替地を得て、奉斎。
昭和20年(1945年)2月-戦禍により再度焼失。
順次再建、小伝馬町ニ之部町会会館が併設されている。
千代田神社由來
千代田神社は長禄年間神靈に依り太田持資道灌が御靈を千代田の御城に祭り鎭守とす。
德川綱吉の時太田の旧臣長野亦四郎氏詞を奉じて小傳馬町に遷座す 是後奉仕せる社人窮困して他に社地を讓る 時に屢々異變あり 神慮なりと畏れ天明年間旧地に建立し現在に至る 大正十二年九月震災にて燒失す。
昭和二年區劃整理に依り當所に替地を得て安鎭す然るに昭和二十年二月戰禍にて再度燒失す。
漸次再建せしも今度諸人の力を致し浄財を受け更に新殿を造立せり 茲に沿革を記す。
昭和三十三年十一月吉日
小傳馬町 二丁目町会


時の鐘
寛永3年(1626年)-江戸城内時の鐘を辻源七が本石町三丁目(今の日本橋本町四丁目)に移し、鐘楼堂を建てた。
日本橋を筋交い御門へ向かい十軒店の東側。
宝永7年(1710年)-火災で鐘楼焼失。
宝永8年(1711年)-新しく作られた時の鐘は現存。
「寳永辛卵四月中流浣 鋳物御大工 椎名伊予藤原重休」
明治初期に時の鐘は廃止。
昭和5年(1930年)-鐘は十思公園に移された。
石町-江戸史跡
参考Goo地図-日本橋北内神田両国浜町明細・安政6年再板
https://map.goo.ne.jp/history/edo/map/5/

福徳神社
中央区日本橋室町2-4-14
旧住所-日本橋室町二の四ノ九
創建-伝清和夫皇の御世、貞観年間(859年~876年)鎮座。
武蔵国豊島郡福徳村と呼ばれていた頃から福徳稲荷として祀られていたと伝えられている。
二代将軍・秀忠公が慶長19年(1614年)の正月に参詣した折には、「福徳とはまことにめでたい神号である」と称賛の言葉を残したという。
この時、椚(くぬぎ)の木からなる鳥居に若芽が萌え出たことから「芽吹神社」と命名され、今日もその名で親しまれているそうだ。
明治7年(1874年)8月-社格を村社と定められる。
明治9年(1876年)9月-社號を福徳神社と官准される。
関東大震災後の区画整理で日本橋区瀬戸物町へ遷座。
昭和48年(1973年)-敷地が縮小となり社殿を日本橋室町のビルの屋上に移設。
仮宮をCOREDO室町付近へ設置。 平成26年(2014年)10月-新社殿竣工。
平成28年(2016年)-「福徳の森」の整備、「薬祖神社」が遷座。
祭神-倉稲魂命
相殿-天穂日命・少名彦名命・事代主命・三穂津媛命
合祀-太田道灌・弁財天・徳川家康
福徳神社-仮宮-平成25年(2013年)09月03日
福徳神社-仮宮-平成25年(2013年)09月03日.JPG
福徳神社
福徳神社.jpg

家内喜稲荷神社(やなぎいなりじんじゃ)
中央区日本橋室町4-2-12
祭神-記載文書なし。
由緒等詳細不明。
お狐様-左は巻物を咥え、右は宝珠らしきもの咥えている。
家内喜稲荷神社-平成25年(2013年)09月03日
家内喜稲荷神社-鳥居-平成25年(2013年)09月03日.JPG
家内喜稲荷神社-平成25年(2013年)09月03日.JPG
日本橋本銀町(ほんしろがねちょう)
町名-銀工が住んだのに因むと云う、寛永の切絵図に「白かな丁」、神田新銀町との混同を避けるために「本銀町」となる。
明暦の大火後-竜閑川沿いに防火の高さ2丈4尺の土手が築かれた。
正徳年間(1711年~1715年)以降-土蔵に替えたことで「土手蔵」と称された。
享保年間(1716年~1735年)以後-再び町屋となる。 町内には瀬戸物・唐和薬種等、多種の問屋が軒を連ねた。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)江戸府本銀町。
明治11年(1878年)11月2日-東京府日本橋区本銀町。
明治22年(1889年)5月1日-東京府東京市日本橋区本銀町。
昭和7年(1932年)-本石町、室町、本町の各四丁目に編入となり消滅。
昭和18年(1943年)7月1日-東京都誕生。
昭和22年(1947年)3月15日-日本橋区と京橋区が合併、中央区成立。
中央区日本橋本石町、中央区日本橋室町、中央区日本橋本町の各四丁目の北半部にあたる。


白幡稲荷神社
中央区日本橋本石町4-5-16
旧住所-日本橋区本銀町壱丁目拾八番地
創建-伝和銅4年(711年)。
福田村(日本橋本石町3丁目周辺)の鎮守社として祀られていたと云う。
祭神-宇迦之御魂神
明治6年(1873年)-日枝神社の兼務社(中央区史)
明治6年(1873年)-神田神社の兼務社(境内来歴)
明治16年(1883年)-神田神社の兼務社(東京都神社名鑑)
白旗神社-来歴
大正12年(1923年)9月1日-関東大震災、焼失。
昭和5年5月(1930年)-再建なる。
昭和20年(1945年)-東京大空襲、被災状況不詳。
昭和51年3月-社地を本石町に移し、鉄筋コンクリート造流造朱塗の社殿をはじめ社務所その他諸施設を整える。

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